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大阪のアイコン的な娯楽ビルとして、約70年間存在してきた「味園ユニバースビル」が、2025年7月5日(土)を最後に全館営業終了する。昭和時代に誕生した文化遺産ともいうべき建物がなくなってしまうことに、寂しさを感じてやまない。しかし、味園ユニバースビルの歴史を改めて知ると、戦後まもなくの頃に誕生したビルには奇想天外で驚くべきアイデアと夢が詰まっていたことが分かる。
味園ユニバースビルがある大阪・難波の千日前は、刑場があった江戸時代を経て、刑場が廃止となった明治時代には見せ物小屋や演芸場などが並び、演じる人々が集まる地となった。1912(明治45)年に起きた大火事「ミナミの大火」で大被害を受けたものの、後に「娯楽センター」「大阪歌舞伎座」「大阪劇場」などの施設が誕生し、娯楽を求める人々が集まる繁華街としてさらに成長を遂げた。
第二次世界大戦の「大阪大空襲」で再び焼け野原と化したにもかかわらず、その地に根付いていた娯楽の火は消えることなかった。戦後は吉本新喜劇などが上演される新たなお笑いの拠点「なんば花月」ができ、大阪発の芸能や娯楽発祥の地となり、現在に至る。

「日本一の大キャバレー」として誕生した味園ユニバースビル
味園ユニバースビルが誕生したのは、1956年。戦後10年たたないうちに出来上がった巨大ビルは、最初は「ダンスホールユニバース」と呼ばれた地下のダンスホールから始まり、その1年後に2階から5階まで吹き抜けのキャバレー「ユニバース」が始まり、エネルギーの満ちあふれた日本の高度成長期とともに、日本一の大キャバレーとして人気を呼んだ。

現在、味園ユニバースビルに拠点を構え、味園の歴史の資料を管理している映像チーム「COSMIC LAB」のC.O.L.Oは、こう話す。
「オープン時に作られたチラシやポスターには、募集したホステスの数が3000人とあって、キャバレーは2階から5階までが吹き抜けといったかなりぜいたくな造りでした。天井には、宇宙空間のようにまばゆい何万個もの照明が輝いていて、UFOのような円盤型をした空中ステージが2機、通常の形状をした空中ステージが3機と、合計5機のステージが4階に収納されていたといいます。
店が始まると3機のステージは降ろされ、天井にある円盤型のステージに出演者が乗って降りて演奏をし、演奏が終わると次の演奏者が乗ってまた登場する、といったことをしていました。それを敗戦国の日本で、味園ユニバースビルの場合は自社で、DIYで作っていましたから驚きです。アメリカの有名な『LIFE』誌に、1962年に見開きでキャバレーが紹介されたこともあります」(C.O.L.O)



キャバレー全盛期だった1960〜1970年代の頃は、ジャズやマンボ、ラテン音楽などが人気を呼んだ。ミュージシャンの登竜門としても栄えた千日前では、「道頓堀ジャズ」というジャンルが登場したように、オリジナルの音楽が誕生した時代でもあった。
またその時期に、大阪のローカルテレビ局では味園ユニバースビルのCMが流れるようになり、まだ当時は幼かったC.O.L.Oは、CMを観た時に衝撃を受けたという。
「僕ら世代の大阪の人はみんな知っていると思いますが、怪しげな大人の盛り場とでもいうか、エロスと関西独自のコテコテとした感じが入り混じった独特なCMが、今でもトラウマのように記憶に刷り込まれていますね(笑)」(C.O.L.O)
昭和の娯楽施設からオルタナティブなミュージックカルチャーの聖地へ
大キャバレーは時間の経過とともに変化し、吹き抜けだったフロアは増築され、大宴会場やサウナ、ホテルが新たに誕生。そして、2階にはスナックや飲み屋が50店舗ほど入った娯楽施設として姿を変えていった。しかし昭和の名残りが続いたことから、一時期は廃れたビルに。そこに目をつけたのが、音楽をはじめとしたサブカルチャーを愛する若者たちだった。


「2000年前後に、味園ユニバースビルでレイヴカルチャーの流れをくんだパーティーをやっているという情報が入ってきたんですよ。その時のオーガナイザーが、レンズの裏にLEDの電球をちりばめて、しかもそれが光る『シンクロエナジャイザー』というサングラスをかける、『サイケデリックカルチャーの極み』のようなパーティーをやっていました。
それが、自分の中にこれまでとは異なるオルタナティブな味園ユニバースビルがインプットされた瞬間でしたね。だんだんと、味園ユニバースビルの外にいた嗅覚のある人たちが集まり出して、遊び始めるようになりました。その当時はスナックもどんどん閉まっていたので、そこに逆にスクワッティングなノリで人が入ってきて、オルタナティブなカルチャーへと『接続』されていったんですね」(C.O.L.O)
味園ユニバースビルの第2期ともいえる2000年代以降は、地下には「マカオ(MACAO)、2階では「香港」と呼ばれるクラブがオープンした。1000人が収容できたマカオでは、C.O.L.Oたちが始めたパーティー「FLOWER OF LIFE」が人気を呼び、味園ビルで鳴る音楽は「演奏する音楽」から「再生する音楽へ」と変化。現在のクラブカルチャーを軸にしたパーティーが、味園ユニバースビルの顔となっていった。


ライブハウス「味園ユニバース」の誕生とカルチャー発信地としてのリブート
しかし、マカオは2007年に閉店。2011年には、キャバレーとしての味園ユニバースも終了し、同地は新たに音楽のヴェニューとしてスタートすることになる。とはいえ、その頃は風営法のあおりを受け、オールナイトイベントを行うことが難しかった時期。よって味園ユニバースは、デイイベントを行うライブハウスとして始まり、この10年の間で大阪でも有数の人気を誇るライブ会場へと成長した。

そして2階のフロアには、サブカルチャーをこよなく愛する若者たちの店舗が出現。バーやスナックも入り混じり、カオスなカルチャーの発信地として再び息を吹き返した。また、味園ユニバースビルに影響を受けた映画『味園ユニバース』(2015年公開)が制作されたことから、映画ロケ地巡りの場所としても注目を浴びるようになっていったのだ。

「大阪のアイコン」が迎えるグランドフィナーレ
残すところあと数日の営業となった味園ユニバースビル。昨年末には、すでに2階は閉館し、残された地下のライブハウスである味園ユニバースが最後まで営業していたが、7月5日、その味園ユニバースもついにファイナルを迎える。
ヴェニューとしての有終の美を飾るイベントは「FINALBY ( )」(ファイナルビー)。20年以上、味園ユニバースビルを拠点に活動をしてきた空間表現映像チーム・COSMIC LABと、バンド・BOREDOMSの∈Y∋、アートエンジニアのHORIO KANTA、そして音響プログラマーのNIIMI TAIKIによるユニット「FINALBY ( )」が、味園への思いを、2時間の「2025年大エンターテインメント」となるであろうライブで披露してくれる予定だ。

また、味園ユニバースでは7月2日から5日まで、「AUGER ART ACTION 『味園大宇宙展』Presented by COSMIC LAB」が開催されている。ぜひ足を運んでみてほしい。

70年の歴史が幕を閉じるまで、紆余(うよ)曲折を経た大阪文化の発祥の地であった味園ユニバースビルは、人々に愛され、最後まで情熱の火を絶やすことなく存在する。
COSMIC LAB presents「FINALBY ( ) Live at 味園ユニバース Final supported by AUGER」
日時:2025年7月5日(土)開場18時、開演19時(終演21時)
出演: FINALBY ( ) _∈Y∋ (BOREDOMS) ∞ COSMIC LAB ∵ KANTA HORIO ∅ TAIKI
※チケットはソールドアウト
「AUGER ART ACTION 『味園大宇宙展』Presented by COSMIC LAB」
日時:2025年7月2・3・5日 18〜22時、4日 20〜22時/5日は「COSMIC LAB presents FINALBY ( ) Live at 味園ユニバース Final supported by AUGER」公演来場者を対象に一部が閲覧可能
料金:1,000円
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