インタビュー:野村萬斎
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オペレッタ演出に初挑戦、野村萬斎が描く喜歌劇「こうもり」の魅力

「理性のたがを外して」舞台を鑑賞、能狂言との共通点とは?

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Ayako Takahashi
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タイムアウト東京 > アート&カルチャー > オペレッタ演出に初挑戦、野村萬斎が描く喜歌劇「こうもり」の魅力

テキスト:高橋彩子 

狂言師であり、俳優、あるいは演劇の演出家としても活躍している野村萬斎が、オペレッタの演出に初挑戦。手がけるのは、銀行家のアイゼンシュタイン夫妻が互いに浮気をしたりだまし合ったりと荒唐無稽なドタバタ劇の末に「全てはシャンパンの泡のせい」と大団円を迎える、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」だ。

洒脱(しゃだつ)で流麗な音楽に彩られたウィーン発のドラマを、萬斎は日本の物語へと大胆にアレンジする。果たしてその内容や狙いとは?

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日本が舞台の「遊び場」を
Photo: Kisa Toyoshima

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―オペレッタの演出に今回、初挑戦されています。その理由や心境を教えていただけますか? 

やはり、いろいろな世界を知りたいのでしょうね。狂言師としての活動のほか、「世田谷パブリックシアター」の芸術監督として20年間、シェークスピアや現代劇などを勉強させてもらいましたが、2022年に「卒業」してまた違うことをしたいなという時に、今回のお話をいただいたので。

と同時に、せりふがあり、謡(うたい)と舞があり、コーラスと言うべき地謡(じうたい)がいる能狂言と、オペラやオペレッタとは、構造的に似ているとも感じます。実は世田谷パブリックシアターでもオペラを上演してはどうかと考えたことがあるのですが、予算的にオーケストラやコーラスを入れるのが難しくて断念しました。

―「こうもり」はヨーロッパの大都市近郊の温泉地を舞台に、今回は舞台を日本に置き換えて、噺家(はなしか)の桂米團治さんが語り部となり進行するそうですね。

オペレッタでは演出家が(せりふ部分の)台本を書く慣習があるということなので、まず落語からスタートさせ、1幕の銀行家のアイゼンシュタインの館は質屋に設定し、オルロフスキー公爵の夜会が行われる2幕は鹿鳴館のイメージで台本を書きました。

歌詞は変えないので役名などもそのままですが、オーストリアはウィーンの昔話ではなく、日本の昔話が向こうの昔話とくっつく形にすることで、お仕着せ感を少なくしたつもりです。時事ネタなどの「くすぐり」も入れています。

そもそもこの作品は、全ては「こうもり」というあだ名を付けられたファルケ博士によって仕組まれた茶番劇ですから、その雰囲気が伝わるよう、遊び場をセッティングしたわけです。そうすることで、オペラやオペレッタに馴染みがないけれど落語なら笑点で見たことがある、という方にとっても入りやすくなりますし、オペレッタに精通されている方にも新しい印象になるでしょう。

ー原作の設定ではロシア人となっているオルロフスキー公爵ですが、今回の衣裳は衣冠束帯(公家の正装)だと聞きました。どこの国の人なのでしょう?

名前からすればロシア人ですが、イメージとしては島津斉彬。あまり厳密に突っ込まないでほしいのだけれど(笑)、皆が西洋化していく中で自らは旧態依然とした格好をしているとか、そういうちぐはぐ感が鹿鳴館の面白さですよね。

オルロフスキーのアリアはトリッキーに音が上がる。この前、オルロフスキーを演じる藤木大地さんと話していて、それはどうしてなんだろうと言ったら、酔っ払った彼のしゃっくりだという考え方もできるのではないか、とのことでした。

ともあれ、この役は女性のメゾソプラノがやることが多いところを、今回カウンターテナーでやるわけなので、そのことも含めて何か肉付けしたいと考えた時、お公家さんとして白塗りにしたら、ほかとは違うカウンターテナーの特殊感を生かせるのではないか、と思ったんです。

音楽とともに、テンポ良く
Photo: Kisa Toyoshima

音楽とともに、テンポ良く

―若い頃はバンドを組むほどロックがお好きだった萬斎さん。「こうもり」の楽曲の印象はいかがですか?

先ほども使った言葉ですが、音がトリッキーな感じがします。モーツァルトのようにスケール練習的な早弾きタイプではなく、ファンクというか。そしてワルツが楽しいですね。ですから、台本もこういうテンポで掛け合いになってスコンと入る、みたいなことは考えながら書きました。 

せりふのリズムやテンポに関しては、狂言師である僕にはアドバンテージがあります。その分、ジャンルは違えど、出演者を見る目もシビアになるのですが、今回の皆さんは楽譜通りに歌うだけではなく、リズムの取り方など素晴らしいと感じます。

僕が演出を手がけた能狂言「鬼滅の刃」でも、一流の囃子(はやし)方に頼み、古典からもいろいろなものを流用しながら演奏してもらったら、それだけでレベルが上がるところがありました。今回もこれだけすてきな音楽ですから、指揮者の阪哲朗さんとともに、テンポ良く作っていきたいですね。

ー夏に行われた稽古でも、出演者のアドリブを取り入れながら、その場でどんどんテキストを変えているのが印象的でした。

夏に稽古をしたのは、秋に僕が忙しいからというのもあるのですが(笑)。オペレッタを初めて手がけるにあたって、机上ではなく実際の稽古場で役者が動く様子を見て、音楽との兼ね合いも考えながら総合的に体感したかったからです。

台本を執筆した段階ではまだ楽曲が体に入っている状態ではなかったので、稽古の中で要らないなと感じたら「すぐに取っちゃいましょう」といった具合に、会話でポンポンとシチュエーションができていくように作っています。

頭の中で全て決めるのではなく、その空間と時間の中で正しいこと、面白いことをチョイスしていくのが、僕のやり方。僕自身、普段の狂言でも、いわばディレクターでありプレーヤーですからね。

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「天地人」を空間で表しながら
Photo: Kisa Toyoshima

「天地人」を空間で表しながら

ー萬斎さんの主戦場は能舞台。広さも出演者の人数も限られていて、凝った空間構成をする必要もなく、シンプルな中で十分に成立してしまう世界ですよね。しかし萬斎さんの現代劇などでの演出は、空間構成に長けている印象を受けます。昨年演出された「ハムレット」でも、空間の上から下まで多彩に使っていました。

僕はさまざまな場所でツアーを行っていますから、その場所でどう見えるのがいいのかということは、いつも感じながら演じています。能狂言は本当に「素手の芸」で頼るものがないですから、空間の使い方、つまり高低差を使うとか、横の距離感を使うとか、そういうことで処理するわけです。能狂言の一つの非常にエコノミカルな発想ですよね。いちいち豪奢(ごうしゃ)なセットを作るのではなく、距離感で何かを表す、というふうに。

それは現代劇でも同じこと。言ってみれば「天地人」、つまり、天に近い人は上の方にいるし、虫けらのような存在は下の方にいるし、(一般の)人は真ん中、という発想です。要するに、超自然的なことは少し高いところでやり、メインのステージはあくまで人間が交差する交差点。現に「ハムレット」も今回の「こうもり」も、2階の舞台が一種の橋がかり的な存在というか、メインの舞台を見下ろす場所にしてあります。

今回は予算や会場の都合もあって、「いかにも鹿鳴館」というお金をかけたセットを作ることより、キャラクターにスポットを当てているのですが、それを助けるためにも、空間のどこから出てくるのか、どこにいるのかといったことは大いに考えています。

日本的な感覚かもしれませんね。歌舞伎だって必ず下手側に戸口があるし、狂言だって偉い人は上手にいる。そういう演出が身についてしまっているということなのかもしれません。

ー「こうもり」で言うと、身分の上下が描かれるのは、アイゼンシュタイン夫妻と小間使いのアデーレ辺りでしょうか。

キャラクターの中では身分差をそれほどは強調しませんが、コーラスの扱いが鍵になりそうです。能の場合、地謡はコーラスだけれども目に見えるし、地謡の方でも舞台を見ているし、存在感があります。「こうもり」のコーラスにもそうした役割を担わせたらどうかと考えたわけです。

そこで「こうもり」というタイトルをどこまで引っ張るか、なのですが、コウモリたちが、上から逆さづりになるわけにはいかないけれど、何やら群れてこちらを見ている、みたいなイメージもありかもしれない。俯瞰(ふかん)して見ているという意味では観客と同じ目線ですから、その辺も計算して作りたいですね。

ーつまり、コーラスは同時代の人ではないように見えるかもしれない、ということですか? 

今回は公演の場所によってコーラスの人たちが変わるのであまり凝ったことはできませんが、僕が振り付けて、簡単にできることをしていただくつもりです。リアクションというものが、演劇ではすごく重要だと思っているので。 

ーそのリアクションを、メインの舞台とは違うところからコーラスが行う、と。

そうですね。一種、そこにいるけれども、役ではない存在として振る舞います。

それでいて能の地謡に、急に(主役と)掛け合いをして、相手役のようになったりするところがあるように、今回もコーラスがあっという間に役にもなる。その「出入り」が自由になるような形にしました。 

ーそれは、具体的にはどのような形でしょう?

鹿鳴館を錦絵にしたような幕があって、そこにたくさんの人が描かれているんです。コーラスの人たちは、鹿鳴館の人々に扮する時には、観光地にある顔出しパネルのように、書割(かきわり)に首を合わせます。そして、時にはその幕を持って乱舞したりもする(笑)。

ー批評性が感じられそうな演出です。

皆、茶番劇の証人というわけです。実を言うと、これはもともと予算の問題に端を発する苦肉の策でもあるのですが、良い効果になるといいなと思っています。

「代償行為」としての喜劇の面白さ
J.シュトラウスⅡ世/喜歌劇「こうもり」

「代償行為」としての喜劇の面白さ

ー一般的に「こうもり」というオペレッタは、たわいもない荒唐無稽な物語が美しい音楽に彩られているわけですが、今回の演出を通して、最終的にどんなものを浮かび上がらせたら成功だとお考えですか?

まずは、愉しいものにすること。一種、しょうもないような、自分の欲望に忠実な人たちが出てくるわけですけれども、狂言に出てくるキャラクターも皆、己の欲望に忠実というか素直です。普通の人がやれないことをやってくれるのが、喜劇の面白さ。つまり代償行為的なところがありますよね。

最近、僕はよく、舞台と客席の関係性を「共犯関係を結ぶ」と表現するのですが、特に喜劇的なものはそれが強い。この「こうもり」はそれぞれがそれぞれにうそをついてパーティーへ行く話ですから、そういう人々を目撃しつつ「やれやれ!」という具合に、理性のたがを外してご覧いただきたいですね。

Contributor

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

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