中島さち子
中島さち子

なぜクラゲ館? 大阪・関西万博のパビリオンに込められた「創造性の育成」

テーマ事業プロデューサーの中島さち子へインタビュー

編集:
Genya Aoki
寄稿:
Kaoru Hori
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※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2022年3月21日付けで掲載された『Power player』の日本語版。

1970年の​​『日本万国博覧会』(通称『大阪万博』)は、国や大企業が最先端技術を披露するいわゆる技術展だった。高度経済成長期の真っただ中であり、開催に合わせて鉄道網や高速道路が整備され、当時としては史上最高の6422万人が来場。あれから55年の月日を経て、「成長期」から「成熟期」へと移行した日本で開催される『2025年日本国際博覧会』(以降『大阪・関西万博』)は、一体どのようなものになるのだろうか。

『大阪・関西万博』のテーマ事業プロデューサーの一人に選出された中島さち子に話を聞いた。彼女はジャズピアニスト、数学研究者、STEAM教育家という多彩な肩書きを持つ人物だ。『大阪・関西万博』においては、8つのシグネチャーパビリオンの1つである「いのちを高める」というテーマを担当する。これまでの活動と万博との関連性、万博に対する意気込みを率直に語ってもらった。

「ゆらぎのある遊び」の重要性

「前回がさまざまな技術が見せてくれる『日本の未来』だったとしたら、今回は技術が引き出す『命の爆発的な創造性』ではないかと私は考えています」

中島さち子はSTEAM教育の専門家として、「創造性の民主化」を発信し続けてきた。これは、従来であれば芸術家や研究者や起業家などにあると思われてきた創造性が、一個人にも必ず備わっているという考えに基づいている。

「小さな子どもでも、おじいちゃんおばあちゃんでも、創造者であり得る。一人ひとりの中に一つひとつの命が宿り、これを何らかの形で表現したり伝えたりしたい衝動がある。万博ではそんな一人ひとりの創造性をいかに引き出すか、そして実現していくかが勝負だと思っています」

中島が担当する「いのちを高める」というテーマは、厳密には「いのちを高める(遊びや学び、スポーツや芸術を通して、生きる喜びや楽しさを感じ、ともに“いのち”を高めていく共創の場を創出する)」(原文ママ)というものだ。建築家や数学者たちと話し合いを重ね、たどり着いたのは「ゆらぎのある遊び」の重要性だ。

中島が専門としてきた音楽や数学、そして技術と遊びを融合させ、創造性を育む空間を思い描き、クラゲをモチーフにしたパビリオン『いのちの遊び場 クラゲ館』の構想が生まれた。

「揺らぎのある遊びがないと創造性って生まれないんですね。学びは目的が重要だと言われますが、遊びには意外と目的がない。遊んでいるうちに、その人なりの目的が生まれてくるんです。砂場で泥だらけになるうち、お城を建てようとかお堀を作って水を流してみようとか思うようになる。そういう揺らぎのある遊びが、今すごく大事な気がしています」

誰もが「未来のかけら」をつくり出せる存在

中島は教育に携わる中で「子どもだけでなく、むしろ大人も苦しんでいる」と感じるようになったという。同調圧力に対する息苦しさ、生きにくさ。格差社会がもたらした貧困。自己責任という名の弱者への見えない暴力。そんな大人の心の解放になればと、中島は『大阪・関西万博』の事後に「0歳から120歳までのチルドレンミュージアム」の設立を夢見ている。「ある種の生き方改革を、みんなで盛り上げられたら」と。

終始、熱のこもった口調で意気込みを語った中島だが、特に「世界を変えられる」という言葉は筆者の胸に響いた。中島自身がそれを信じているからだろう。

「万博の一つの特徴は『民のお祭り』。その空間に自らが関与することを通じて、自分は世界を変えられるんだと。それがちょっと大げさなら、関わることができると知ってほしい。誰もが『未来のかけら』をつくり出せる存在であることを感じてほしいと願っています」

中島さち子

1979年、大阪府生まれ。東京大学理学部数学科卒業。ジャズピアニスト、数学研究者、教育家、メディアアーティストとして活躍中。幼少時からピアノや作曲に親しみ、高校2年生の1996年に国際数学オリンピックインド大会で日本人女性初の金メダルを獲得。大学時代にジャズに出合って本格的に音楽活動を開始。フリージャズビッグバンド「渋さ知らズ」に参加しながらソロ活動も活発に行った。2017年、株式会社steAmを設立し、STEAM教育の普及に努める。2018年から内閣府「STEM Girls Ambassadors」就任。著書に『人生を変える「数学」そして「音楽」』『音楽から聴こえる数学』など。

大阪万博についてもっと知る……

2022年3月22日(火)、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会は東京プリンスホテルで記者会見を行い、『2025年日本国際博覧会』(以降『大阪・関西万博』)公式キャラクターデザインの最優秀作品を発表した。選ばれたのはデザインレーベル、マウンテン マウンテン(mountain mountain)によるデザインだ。

  • Things to do

※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2022年3月21日付けで掲載された『Blue-sky thinking』の日本語版。

『2025年日本国際博覧会』(以降、大阪・関西万博)では、「移動」が一つの目玉コンテンツになるかもしれない。2018年7月の創業以来、「空飛ぶクルマ」を開発しているスタートアップ、スカイドライブ(SkyDrive)は2021年9月、『大阪・関西万博』でのエアタクシーサービス提供に向けて、大阪府、大阪市と連携協定を締結した。

空飛ぶクルマとは電動垂直離着陸機のことで、eVTOL(イーブイトール=Electric Vertical Take-Off and Landing aircraft) とも称される。エアタクシーが実現すると、既存の交通インフラなら20分から40分かかっていたところへ5分から10分で行けるようになり、大阪の景色を空から楽しみながら、快適に最短距離を移動できるようになる。

スカイドライブを率いる福澤知浩に開発への思いや、その道のりについて話を聞いた。

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  • Things to do

※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2022年3月21日付けで掲載された『BLAST FROM the past』の日本語版。

1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵を舞台に日本万国博覧会(通称『大阪万博』)が開催された。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77か国が参加した大阪万博は、1964年の東京オリンピックとともに高度経済成長期の日本を象徴する国民的イベントとされている。

映像作家やグラフィックデザイナー、そして「現在美術家」など多方面で活動する一方、ライブストリーミングチャンネル『ドミューン(DOMMUNE)』をキュレーションしてきた宇川直宏は、2歳のときに両親と『大阪万博』の会場を訪れている。

最先端の文化博覧会という一面も持っていた『大阪万博』は、日本のサブカルチャーにどのような影響を与えてきたのだろうか。2025年の『大阪・関西万博』で芸術や音楽が果たすであろう役割も含め、宇川に語ってもらった。

  • Things to do

※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2022年3月21日付けで掲載された『Tower records』の日本語版。

1970年に開催された『日本万国博覧会』(以降、『大阪万博』)において最大のシンボルとなったのが、芸術家の岡本太郎が制作した『太陽の塔』である。岡本は戦後間もない時期から縄文土器や沖縄および東北の伝統的な習俗、メキシコの壁画への関心を深め、高度経済成長期の日本における魂のありかを追い求めた。

高さ70メートルを誇る「太陽の塔」は岡本のそうした思想を象徴する作品であり、大阪万博が掲げた「人類の進歩と調和」というテーマに対する痛烈なアンチテーゼでもあった。

この『太陽の塔』を岡本とともに作り上げたのが、「テーマ館」のサブプロデューサーを務めた千葉一彦だ。千葉は日活の美術監督として『幕末太陽傳』(1957年)、『日本列島』(65年)、『八月の濡れた砂』(71年)などの映画作品を手がけた経歴を持つ。

万博においては岡本の右腕役を担い、2人がタッグを組んで作り上げた最高傑作が『太陽の塔』であり、その内部に作られた一大展示作品『生命の樹』だった。2018年には48年ぶりに『太陽の塔』の内部が公開され、それに合わせて『生命の樹』も修復された。

岡本とのエピソードを交えながら、大阪万博の貴重な裏話を千葉に語ってもらった。

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