ジョルジオ・サウリーニ/ROMANsアート展
『固定概念』
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大阪、3月に行くべき無料のアート展9選

日本玄承社の日本刀から福本潮子の藍染、IM MENの制作背景など

Chikaru Yoshioka
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大阪を中心とする関西では3月、入場無料で鑑賞できるアート展が各所で開催される。現代の刀鍛冶が立ち上げた日本玄承社による「新し - ARATASHI -」展をはじめ、藍染めによる表現を追求してきた福本潮子の個展、小池一馬の個展「Folk Tale」、さらにイッセイ ミヤケが手がけるメンズブランド「IM MEN」による特別展など、多彩な企画が揃う。

本記事では、気軽に立ち寄れる注目のアート展を厳選して紹介する。

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  • アート

i GALLERY OSAKA」で、現代の刀鍛冶が今を写した日本刀の製作を志し、起ち上げた会社「日本玄承社」による「新し - ARATASHI -」展が開催。本展は、日本刀一点のみで構成され、樹脂で封入された一振を軸に、現代美術の文脈から提示する。

刀剣と縁深い京丹後に鍛冶場を構える日本玄承社は、日本刀の製作・販売を中心に、玉鋼を用いた製品制作や実演を通して、その技術と思想を現代へと接続してきた。制作を担うのは、師から受け継いだ技と現代的な価値観の下で刀作りに向き合う、黒本知輝、山副公輔、宮城朋幸の3人の刀鍛冶による協働である。

工芸であり、武具であり、文化財でもある日本刀は、長い時間の中で多様な文脈に位置づけられてきた。本展では、そうした枠組みの内側に収まりきらない、現在進行形の制作行為としての刀作りに光を当てる。保存や継承のためだけではなく、この時代においてあえて刀を作り続けるという判断を選び取りながら続けられている行為でもある。

展示される一振は樹脂で封入され、切ることのできない状態で空間に置かれる。これは保護や装飾ではなく、刀が背負ってきた機能や即時的な意味から距離を取り、形や時間、制作の判断そのものを浮かび上がらせるための選択だ。

示されるのは、日本刀の再定義や伝統の現代美術への翻訳ではない。日本玄承社による制作という現在形の行為を、静かに差し出す試みである。平和の象徴としての思いと、日本刀の美を感じてほしい。

  • アート

ARTCOURT Gallery」で、藍染めによる作品制作を続ける福本潮子の個展が開催。半世紀近くにわたり革新的な作品を生み出してきた作家の、活動初期の1980年代に焦点を当てる。

福本は、自身の「理想の空間意識」を表現するための「青」を追い求める中で、1970年代中ごろに藍と出合った。単なる色彩ではなく、水や空気を介して繊維に浸透し、美しく映える実体としての藍の青に魅せられる。その伝統や素材への飽くなき探求は、独自の技術と世界観と結びつき、染色や工芸の枠を超えた表現を生み出している。

本展では、藍の表現が国際的に認知される契機となり、藍の表現者としての出発点ともいえるプリーツによる半立体作品『風のなごり』(1987年)を中心に構成。最初期作『潮騒』(1979年)や、絞り技法や藍のグラデーションによって自身の内に感じる宇宙の摂理を表現した『天空』『時空』シリーズ、当時の未発表作品などを交えて紹介する。

卓越した感性を藍に託し、一枚の布に秘められた奥行きを引き出してきた福本。海の深い青からたなびく大気、透き通る空、その先に広がる宇宙へ――あらゆる自然を包摂する藍表現の原点を垣間見る機会となるだろう。

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  • アート

「ISSEY MIYAKE SEMBA | CREATION SPACE」で、イッセイ ミヤケが手がけるメンズブランド「IM MEN」による特別展が開催。2026年春夏コレクションに登場する「UROKOMON」の、複雑かつ緻密な制作プロセスにフォーカスする。

IM MEN2026年春夏コレクション「DANCING TEXTURE」の着想源となったのは、日本の陶芸家・加守田章二(19331983年)の作品。伝統工芸の枠組みや既存の作陶のルールにとらわれることなく、自身が信じる造形美を自由かつ前向きに追求した加守田の作品に出合った瞬間、IM MENのデザインチームは「この陶器を衣服として着てみたい」と直感したという。

既存の構造から解き放たれたフォルム、奥行きのあるテクスチャー、そして手間を惜しまず生み出される緻密なディテール。土と布という異なる素材の間を幾度も往還しながら、作品が放つエネルギーをIM MENならではの衣服表現へと昇華させている。

中でも加守田の「彩陶壺」は、鮮やかな色彩と力強い文様が印象的な作品。このうろこのような文様が生み出すテクスチャーや立体感をテキスタイルへと写し取ったものが、IM MENの「UROKOMON」だ。会場でその魅力を体感してほしい。

  • アート

TEZUKAYAMA GALLERY」で、大阪を拠点に制作を続ける小池一馬の個展「Folk Tale」が開催。陶彫20点、絵画12点に加え、64点のドローイングを発表する。

小池は、陶を主素材とした彫刻を軸に、絵画やドローイング、さらにはそれらを組み合わせたインスタレーションへと展開しながら、表現媒体を越境しつつ彫刻・絵画・空間の関係性を再編してきた。

土偶やはにわ、円空仏、さらにはルネサンス期の「驚異の部屋(キャビネット・オブ・キュリオシティ)」に見られるような、信仰や知の体系と結びついた神秘的な造形から影響を受ける小池。そうした関心の下、形態の曖昧さや生成過程における変容そのものを、造形を成立させる本質的な要素として捉えている。

作品の背景には、日本固有の神道信仰と外来の仏教思想が長い時間をかけて融合してきた「神仏習合」に通じる感覚がある。小池にとって、各地の寺院を訪れ、建築や庭園、彫刻といった宗教的造形に触れる経験も、制作を支える重要な参照源だ。作品には神像や偶像彫刻、虎をはじめとした猫科の動物、植物、パイナップル、つぼなど多様なモチーフが繰り返し登場する。

タイトルの「Folk Tale」は、特定の作者や起源を持たず、人から人へ語り継がれる中で変容してきた民話や伝承を意味する。小池の作品もまた、鑑賞者それぞれの記憶や信念、文化的背景に応じて異なる像を結ぶ「語られ得る存在」として立ち上がるだろう。

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  • アート

TEZUKAYAMA GALLERY」で、平野泰子の個展「同時に、どこでも painting is a body.」が開催される。

平野は、木製パネルに張ったキャンバスへにかわ石膏(せっこう)で下地を施し、乾燥後に研磨を重ねた上で、三原色の油絵の具を幾層にも塗り重ねて絵画を制作している。その根底にあるのは「風景」だが、それは単なる視覚の再現ではなく、視覚・嗅覚・触覚といった知覚と、記憶や感情に由来する精神的要素が統合された、多層的な時間感覚を伴うイメージとして立ち上がる。

平野にとって絵画とは、知覚と記憶が身体を経由して場に現れるプロセスそのものだ。画面に描かれる「丸い点」は、混ざり合った絵の具のプロセスが完了し、作品が鑑賞者と対峙(たいじ)する自律的な存在へと転じたことを示す指標として機能している。

本展では、初となる横構図の作品を発表。制作の連なりの中で作品同士の関係が生成されていくよう展示が構成されており、その配置は特定の意図を伝えるためではなく、制作行為の持続的な重なりの帰結として提示される。

  • アート

イッセイ ミヤケのテキスタイルから発想するブランド「HaaT(ハート)」の「TENMOKU COTTON」は、名品から日常に寄り添う民芸の器まで、陶磁器が持つ多彩な表情に着目したコレクション。「ISSEY MIYAKE KYOTO | KURA」で開催される本展では、陶土や磁器土、顔料、釉薬(ゆうやく)といった素材から、それらが形作る陶磁器の色彩や柄、技法に至るまでを見つめ直し、テキスタイルへと落とし込んだシリーズに着目する。

釉薬のたまりや色のにじみによって生まれる、まだらな景色。その不均質なリズムをテキスタイルとして表現するため、「TENMOKU COTTON」では縫製後の染色加工と表面ブリーチによる2段階の工程を採用している。これにより、色の濃淡や凹凸が浮かび上がり、奥行きのある表情が生まれる。さらに、綿糸でポリウレタンの芯糸を包んだ加工糸を織り込むことで、伸縮性と立体的な起伏を実現した。

会場では、「TENMOKU COTTON」を陶土や磁器土に見立て、ろくろの上に置かれる器の原型になぞらえて展示。回転によって土がひき上げられ器の形が整えられていくように、作品もまた回転の中で、正面・背面・部分ごとに異なる凹凸や表情を現す。

その豊かなテキスタイルの表情を体感してほしい。

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  • アート

NEW PURE +」で、イラストレーター・グラフィックデザイナーとして幅広く活動し、架空の世界を描き続けてきたnico itoの個展が開催。関西では初の個展となる。

どこか懐かしさと未来性をあわせ持つ、ポップで独創的な世界観を描くnico ito。本展に際し、以下のようにステートメントを寄せている。

「今年の頭、ひとけのない田舎街にある、
ひとりの人が作り続けてきた作品だけが静かに並ぶ場所を訪れた。
作品は何かを伝えるためというより、目的もなく、楽しみながら手を動かしていた、
時間の跡のように見えた。
同時に自分以外の気配が、そこに残っているように感じられた。
それは、落ち着きと居心地の悪さを同時に引き起こし、気づくと、
ここは現実の延長ではない場所に来てしまったのではないかと感じていた。
本展示は、そうした体験をもとに、人が目的なく楽しんだ跡を主役に捉え、
架空の世界を通して描いている。
それは象徴ではなく、結論でもなく、ただ、残ってしまったかたちである。」(原文ママ)

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