世界遺産を構成する「古市古墳群」の中で、最古の4世紀後半に建造された「津堂城山(つどうしろやま)古墳」。墳丘の長さが210メートルに及ぶ巨大な古墳で、それまで奈良盆地を出ることがなかったヤマト政権の古墳が、初めて大阪に進出した画期を成す古墳と考えられている。
室町時代には城が築かれたが、16世紀に廃城と化した。1912年に後円部頂上で、国内最大級の「長持型石棺(ながもちがたせっかん)」が発見され、後円部の一部のみ「藤井寺陵墓参考地」として宮内庁の管轄となった。
国の史跡ではあるが、築城時に一部が掘削され、被葬者は特定されていないこともあり、天皇陵としての位置づけではなく公園として管理されている。季節によって花ショウブやコスモスの花が咲き、市民の憩いの場として親しまれている。陵墓参考地を除き、広大な古墳を自由に歩き回り、くつろげる希少な古墳スポットだ。
園内には「史跡城山古墳ガイダンス棟(まほらしろやま)」があり、復元された長持型石棺や「衝立形埴輪((ついたてがたはにわ)」と呼ばれる大型埴輪を展示している。また、同古墳で発見されたユニークな「水鳥形埴輪」は、「藤井寺市立生涯学習センター」の歴史展示室で見ることができる。