篠山紀信
イラストレーション:Haruna Nitadori

インタビュー:篠山紀信

The Hot Seat:篠山紀信インタビュー

テキスト:
Akiko Toya
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※同記事は2011年3月30日、篠山紀信が70歳を迎えた際のインタビューの再掲

山口百恵、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、三島由紀夫、ミッキー・マウス、宮沢りえ、ダライ・ラマ、AKB48、KARAと、時代や国境を超えた超大物たちが次々に登場する、篠山紀信のエッセー集『元気な時代、それは山口百恵です 31日間の現在写真論』が書店にならんだ。今まで、何人の被写体を撮ってきたのかもはやわからないという篠山に、写真界の変化、注目している若手作家についてなど、聞いた。

70歳を迎え、初めてのエッセー集『元気な時代、それは山口百恵です 31日間の現在写真論』(講談社)をお出しになったのは、どうしてですか?

篠山:担当者との義理ですね(笑)。特に節目とかそういうことでもなく、一ヶ月間という時間を区切って、これは、2010年の12月という期間、僕に起こる、写真的な色んなことを書いたんです。例えば、展覧会であったり、雑誌の特集であったり、写真集であったり、写真にまつわる色んなことをテーマに1ヶ月間書いてみる。しかも、過去のことじゃなくて、今、起こっていることを書く。その時代の、その時にしか書けない写真論ができるんじゃないか。そういうことは、今までないんじゃないかと思って、果敢に挑戦してみました。

例えば、2010年の12月には、掲載可だったKARAの写真が、この本を出される2010年3月では掲載不可になっていたりして、とても面白かったです。

篠山:そうなんですよ。写真を掲載できないことも、僕はとても良いことだと思ったの。12月の段階では出せても、たった3ヶ月経ったら、もう出せなくなる。だから、色んな人がいるんですよ。ダライ・ラマが、もう法王を引退すると言ってみたり、勘三郎さんがあんなに元気だったのに病気になったとか。ディズニーランドが今、休園しているとか。とにかく、1日1日変化してくるんですよ。そういう意味で、時代の証言という感じが出ていて、この本はなかなか面白いと思います。

まさに今、おっしゃったように、ディズニーランドの園内で液状化の現象が起こったり、計画停電の影響で、休園していたりしています。今回、東日本大震災の後、カメラを手にとられたりはしましたか?

篠山:僕は、新聞社とか、雑誌社の写真家じゃないから、現場に行くとか、そういうことはしないけど、今度のことは、大きい事件だと思うんですよ。日本にとってものすごく大きい事件で、例えば、今すぐ原発がなおったと言っても、すぐに終わる問題じゃない。色んなことを日本に突きつけた。そういうことは、僕は直接的な表現ではないけれど、僕自身の中で受け止めて、そういう時代のものを撮っていこうとは考えています。現実的に、撮ろうと思っていたものが、中止になったものもあるし、かなり大きく、長くひきずっていくことだと思います。具体的に、こういうことをやっている、とは言えないのだけど、そうだと思いますね。 だけどさ、日本に元気がないと言っている時代に、こういうことが起きるんだよね。だから、日本がもっと元気でやっていたら、津波も来なかったんじゃないかって、思うのよ、本当に。なんかそういう、弱いところを狙って色んなことが起こるように思うから。やっぱり日本全体がアグレッシブなカタチで生きていくことを選択肢にしないと、これからダメなんじゃないかと思います。

今、こういう非常事態において、写真家の方ができることは何だと思いますか?

篠山:1番プリミティブに言えば、報道ですよね。現場へ行って撮る。でも、写真を見ていても、なんか、変にお涙ちょうだいみたいな、同情をあおるような写真があったり、あんまり好きでないというか。撮っている人がそういうことを感じているのか、メディア自体がそういう風なことをやった方が、読者が喜ぶからやれと言っているのかは知らないけれど、僕が行ったら、もっと違うことを撮っているような感じがします。

篠山さんはどんなことを撮ると思いますか?

篠山:すでに僕は毎日のようにスケジュールが入っていて、それをこなしている状況なんですが、でも例えば地震がなかった状態で撮っているのと、こういう事態になって撮っているのとでは、表現が確実に違っていると思う。何が撮りたいか、具体的に言うのは難しいけれど、基本的に僕は、こんなにひどいことになった、というよりも、だからもっと元気になろうよ、ということを表現するタイプの写真家なんですよ。写真を見て、元気になれる写真を撮れると良いな、と思いますよね。

ご自身の写真を“善意の写真”とおしゃっていたのが、印象的でした。

篠山:僕は、カメラ前にいる人に対して、いてくれるだけでありがたいと思うし、いるんだったら、その人の良いところを引っ張り出して撮りたいし。写真を撮るということは、一種のお祭りだから。嫌いな人もいるし、嫌なこともあるけれど、それは撮らない。 例えばね、ディズニーの写真があるけど、あれは、善意というよりは、自分自身もキャラクターになりきらないと、写真が撮れないんですよ。

“シノラマン”(笑)、ですね。

篠山:そうそう(笑)、“シノラマン”。僕は人間だよ、って思っていたら、キャラクターたちは、写真集で写っているようには、動かないと思うんですよ。僕もカメラを持ったキャラクターになっているから、心を開く。ほかのディズニーの写真とは全然違うと思いますよ。生き生きしているの。でも、それは、僕が夢の世界に入り込んで行って、彼らと同じ仲間だからなんだよね。あの中には女の人が入っている、なんて思った瞬間に、キャラクターは動かなくなる。

カメラの前にいる方々を、まずは信じるんですか?

篠山:そうだね。信じたり、良いところをパッと見つけることだよね。あとはね、僕、自分が写真に撮られるのが嫌いなの。だから、ささっと、当人が気に入るように撮ろう、って思うんだよね。 色んな手練手管を使ってね(笑)。

中野裕太さんのヌード写真を撮られたりもしていらっしゃいますが、その時は、1ヶ月ほど打合せをしたそうですね。もともと、ヌード写真集を撮る時には、ヌードになるということがだいたい決まっているんですか?

篠山:だいたいじゃなくて、完全に決まっていますよ!!ちまたでは、僕がちゃらちゃらと言うと、はらはらと脱いじゃうなんて言われているみたいだけど、そんなこと、あり得ないですよ!!

私も、魔法のワードがあるんだと思っていました(笑)

篠山:そうなの?じゃぁ、今、やってみます(笑)? いやいや、そういうことじゃないですよ。魔法のワードというかね、この人なら、ヌードを撮らせても良いかな、と思わせる過去の作品があったりということもあるけど、だけど、誠心誠意やるということですよ。僕は、あなたのこういう部分が撮りたいときちんと話して、それを写真できちんと表現することですね。 僕にとって、写真を撮ることは、作品を作ることだから。撮っただけで、どこにも出ないなら、その場で“はらはら”もあるかもしれないけど、撮ったら必ず世に出る。社会的な目にさらされるわけだから、それは、その人にわかっておいてもらわないといけないよね。ただ僕が個人的な目的で“はらはら”としてもらうなら、カメラなんていらないじゃない(笑)。

(笑)それはそうですね。写真は証拠になっちゃうかも(笑)。今、肖像権の問題だったり、写真は撮りにくくなっていますか?

篠山:それは昔から比べれば、撮りにくくなっています。街のスナップで写真を撮るのはもう無理じゃないですか。誰が文句を言ってくるかわからないから。テレビでも目を隠したりしているけど、僕の写真を使う時でも、必ず僕のところに確認しにきますよ。肖像権って、まだ、あやふやなところはたくさんあるけど、本当にうるさくなっている。ただ、撮られた人が何かを訴えてくるというより、そういうことになった時に、責任をとりたくない、という方が大きい。ことを荒立てたくないんですよね。でも、安全圏、安全圏ってやっていると、絶対に、表現は面白いものができてこない。だから、今、面白くないんですよ。

これから先も、どんどん面白くなくなっていくと思いますか?

篠山:そう思いますね。まぁ、写真の黄金時代は終わったんじゃないかな。

いつ?

篠山:はっはっは(大笑)! 私で終わりですよ!!(笑) もうね、難しいよ。

そういう意味では、梅佳代さんは、街の姿を切り取って頑張っていらっしゃいますね。

篠山:梅佳代は頑張っていますよ。ある種の社会とのぎりぎりの接点のところで撮っている。

若い写真家さんとの交流もたくさんあるんですか?

篠山:たくさんじゃないけど、僕は木村伊兵衛写真賞の選考委員をやっていたから、そこで知り合った人ですね。だから、写真家というより、写真作家が多いかな。

梅佳代さん以外に、すぐに名前をあげられる作家さんはいますか?

篠山:たくさんいますよ。長島有里枝とか。特に、女性が良いよね。写真は、男子一生の仕事ではなくなったのかもしれないね。だから、一生懸命写真をやっている、って男は、なんかね(笑)。女性の方がきれいだし、そういう人がたくさんカメラマンになってくれたら、僕も嬉しい(笑)。

両手にたくさん花を(笑)?今の写真家に大切なものは、何でしょうか?

篠山:知性や言葉も必要だけど、やっぱり、デジカメが登場して、本当に変わったのは、皆、全ての人が写真を撮れるということ。やはり、昔は、ライカ1台で車が買えたりしてね、お金持ちの特権的な表現だったんですよね。お金がない人は、フィルムもカメラも買えなかった。だけど、今は、美味しい、キレイ、っていうのに出会った時、誰でもが簡単に写真が撮れる。だから、本当に、感性の勝負ですよ。だいたいシャッターを押せば写るわけだから、上手い下手は、あまりない。僕らは、シャッターを押すまでに、色んな苦労があったわけですよ。押せば撮れるなら、感受性が特別なものだったり、特別に美しく見えたり、特別な感性で面白く見えたりするのが大切だよね。

デジタルに変わる中で、やれることも増えるけど、できなくなることもある。写真の移り変わりは、どのようにとらまえていらっしゃいますか?

篠山:その時代は、その時代のカメラで撮るのが1番良いと思うんですよ。だから、今、フィルムで撮る方が難しい。種類も少なくなっているし、ラボがないし、モノクロの場合は、プリントする人がいないし。粒子の一粒一粒を大切にして、ギャラリーで見せるなんて、一種の工芸品を作っているようなものでしょ。だから、写真としてマスメディアに出ていくという意味では、何から何まで、全部デジタルでやっているから、それを敢えて、ライカのモノクロでやりたい、という風に僕はならないですね。 それに、動画が、同じカメラで撮れるようになったのも、画期的なことだと思いますよ。まぁ、だから、写真の黄金時代は終わったというのは、僕みたいな写真の方法を覚えた人にとっての写真の黄金時代は終わったんだよね。これから、面白い表現みたいなものは、たくさん出てくるんじゃないのかな。それは、写真家から出るのか、現代美術なんかをやっている人から出るのか、子どもなのかはわからないけど。写真という表現自体は、これからも面白いと思いますよ。 写真はポピュラーな表現方法だし、社会の中で色んなモラル、常識、法律、色んなことに触れるやすいんですよ。そういうところがまた、面白いと思ってやれば良い。面倒だからやらない、っていうんじゃなくて、抜け道を見つけて、やっていけば良いんですよ。

寂しさみたいな気持ちはありますか?

篠山:そんなことはあまり思わない。それはそれで仕方がないと思って。どうしてもフィルムで撮りたいというものがあれば、昔とった杵柄で上手いわけだから(笑)。でも、撮っている時のスピード感とか、色補正も無限にできるし、すぐにパソコンで見られるし、っていうのを考えると、もう、フィルムにかえれないのね。あんまり僕、なくなっていくものに対する未練はないんですよ。だから、ふられても、あんまり気にしないんですよ。あ、ふられちゃった。じゃ、さよなら、みたいな(笑)。あんまり別れは気にしないタイプなの。

美しい女性との出会いが、山ほどあるから……。

篠山:だけどさ、ふるより、ふられた方が良いですよ、男は。男はやっぱりふっちゃいけないですよ。

女の人を悲しませないために?

篠山:そうですよ。だから、ちょっと別れたいな、と思ったら、ふられるようにしないと(笑)。

ずるい(笑)!

篠山:あ、ふられちゃったんだから、仕方ないなー、ってね(笑)。

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