イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ

映画
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バンクシーの名声は少し変わっている。有名ではないことで、有名なのだ。彼はセレブを惹きつけ、そして引き離していく。ちょうど2年前、『バンクシーがディナーにやって来る(Banksy’s Coming to Dinner)』というジョーク映画の題材になった。監督はICA (Institute of Contemporary Arts)の元会長、イワン・マッソウ。この映画は、女優ジョーン・コリンズを騙し、バンクシーが出席するディナーのホストとしてもてなしをすると思い込ませるストーリーだ。映画のあらゆる要素が、ジョーン・コリンズが騙されているというジョークに結びついていた。果たしてバンクシーもこのジョークに加担していたのだろうか、恐らくしていなかったであろう。それでも同作品は彼の知名度をあげることになった。彼の匿名性は彼にとって便利な「じらし」なのである。匿名であるがゆえに注目を集め、そして同時に注目をそらしてもいるのだ。

匿名性こそが『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』の真髄である。このドキュメンタリー映画はバンクシーによって紹介されたもので、彼が監督したものではない(実際その様なクレジットはない)。本作はバンクシーという人物にフォーカスをあて、彼のアーティストとしての創造性とビジネスの成功によって浮上した問題点を突いている。ただ、映画はあたかもバンクシーについてではないかのように見せかけている。もしバンクシーが映画を作ったのでなければ、映画を作った人物が、身代わりを使ってバンクシーをより良く見せようとしたのだと思う。受動的な自己PR作品とでも言うべきだろうか。人によってはでっち上げだと思うかもしれない。しかし、そのような見方では映画の主題を見落とすことになる。映画の前半に比べ、後半は正直さに欠けているように見えたとしても、全てがでっち上げであるということを示唆しているものはなにもない。そこが抜け目のない編集とプレゼンテーションの違いである。しかも観客はどこかでこのバンクシーの企画がジョークであることを期待している。映画がドキュメンタリーであろうがなかろうが、見ていて楽しく、元気にしてくれる作品なのだ。

バンクシーの身代わり役(バンクシーの鏡とでも呼よんでおこう)を努めたのは、フランスからロスに移住したヒップスターのティエリー・グエッタ。映画の最初からビデオカメラオタクとして登場し、中年にしては少し早い、むずがゆいアンニュイの捌け口を探している。本作は基本的にナレーターが2人いる。リス・アイファンズが画面に映らないナレーターとしてストーリーを展開。そしてバンクシーは時折シルエットのみで登場し、コメントする。どちらの声も膨大な映像アーカイブに説明を加えている。映像はほぼティエリーの撮影したもの。彼は、1990年代後半から従兄弟のインベーダーの映像を取りためていた。インベーダーはフランス人アーティストで、モザイクをべたべた張りまくった作品で有名。後にティエリーはシェパード・フェアリーやバンクシーなどのアーティストの映像も撮り始める。

ティエリー・グエッタは、何年もの間、アーティストらを撮影し続けた。アーティストが屋根の上に行けば屋根の上、夜に行動をすれば夜に、スタジオにいればスタジオで撮影をし続けた。そしてティエリーはこれらの映像を『ライフ・リモート・コントロール』という題で一つのドキュメンタリー作品にまとめ上げた。しかしこの作品がひどい有様。そこでバンクシーがティエリーにとって変わり、膨大なアーカイブを人様に見せられるドキュメンタリーに編集しようと名乗り出る。そこからがこの映画の本題である。

本作のにくいところは、バンクシーに後押しされて、ティエリーもアーティストとなるところである。ティエリーはロスのヒップな展示会で自分の作品を発表し売り始め、注目を浴びる。この人気のウラには、誰の目からもバンクシーの存在が見え隠れする。ティエリーの作品はどれも三流のバンクシーもどき。だが、この三流加減のウラに緻密に計算された何かが感じられる。もちろん「キャンベル・トマト・スプレー」のラベルのついた巨大なスプレー缶が描かれた作品も含まれている。

ここでの注目点は、バンクシーの後ろ盾、もしくは監修、もしくはその双方のもと、ティエリーのアーティストとしてのキャリアが築かれていくことではない。本作はストリートアートに対する賛辞とずるい自伝、才能があろうがなかろうがすべてのアーティストの虚勢に対する皮肉、そして我々を含めた見る者の騙されやすさを表現しているのだ。

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