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東京、EDM論争

EDMは流行のオモチャか、ポップスの未来か

テキスト:
Kunihiro Miki
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Text by 三木邦洋

時代が変わればヒット曲のあり方も変わる。最近は、絞られた層を的確に狙うのが音楽業界の主流で、いつのまにか「名曲」の受け皿も失われつつある。そんな現状で、唯一世界的に、突出して売れているジャンルがある。日本ではまだまだトレンドワードである「EDM」がそれだ。なにが「EDM」なのかピンと来ていない人も、スウェーデン出身のEDMアーティスト、アヴィーチーの『Wake Me Up』などの曲は耳にしたことがあるはずだ。

日本では2014年に『ULTRA Japan』が上陸して以降、大小のEDMイベントが増え、2015年は『Sensation Japan』、2016年には『Electric Daisy Carnival』の上陸が決定、さらには「avex EDM」なるものが新たに設立されるなど、海外に遅れはとったものの、いよいよバブリーなトピックである。

しかし、このEDM、本場アメリカではその存在自体の是非を巡ってアーティスト間の論争が巻き起こることが多々あるなど、否定派の多いジャンルでもある。EDMが日本にもたらすものは何なのか?まさに今、この輸入品を咀嚼中の日本で、音楽ジャーナリストの鹿野淳(株式会社FACT/ロック観光協会株式会社)と、日本のEDMのパイオニアであるTomo Hirata(EDMF/Playbox)が語り合う。

EDMの文脈

見せ方としては完全にライブ

ーTomo Hirataさんの会社が運営しているEDM PRESS』を拝見して、発信されているEDMカルチャーに関する内容がとても新鮮に感じました。日本では、海外でのありかたを通して、またシーンとして、ジャンルとしてEDMとは何なのかを知る機会がほとんどないです。

Tomo Hirata(以下、TH):日本でのEDMは、『Ultra Japan』などを除けばほとんどの場合、海外と直接連動しているとは言い辛い状況で、基本的にはオールミックス系ですよね。ヒット曲を連続でかけているようなクラブのDJのものになっている。

鹿野:それはざっくり言うと、「流行ものとしてのEDM」と「EDMマナー」の違いということですか?

TH:そうです。流行ものとしてTOP40をかけるDJがEDMを取り入れている、というのが日本国中に広まっているというのが現状です。

鹿野:これ知りたかったことなんですけど、EDMって、ジャンルのマナーとかカテゴリーというものが希薄であることが、逆にここまでメインストリームでポップになっている要因のひとつであると思うのだけれど、でも、本当はEDMにもマナーはあると。

TH:あります。

鹿野:ZEDDみたいな何十億も稼いでいるDJにも、何百人しか集まらないパーティーにも共通して、それはあるわけですね。

TH:はい。基本的にEDMの最大の特徴は、プロデューサー文化なんですよ。

鹿野:あぁ、そうか。そこ重要ですよね。

TH:今までのクラブカルチャーは、DJ文化ですよね。ようするに、例えば80年代以降のハウスミュージックの流れのものでは、自分の曲も大事だけど、基本的には他人の曲をかけて一晩を構成する。Masters At WorkやDAVID MORALESといった時代を象徴するアーティストたちにしても、持ち曲はあるわけですけど、それだけじゃなくてほかの人の曲も沢山かけて、プレイを構成する。DJというのはそういった選曲家的な立ち位置が大きかった。

それが変化したのは、2000年代後半からが特に顕著なんですけど、2000年代前半に2 many dj’sが現れて、従来のハウスミュージックのロングミックスはつまらないと言い始めて、マッシュアップとかをやりはじめた。

そこからエレクトロが派生するんですが、エレクトロっていうのはある意味ではコマーシャル化したハウスへのカウンターカルチャーだったわけです。そのエレクトロの流れから、トランスだったりハウスだったりが合流してできたのが今のEDMシーンなんですよ。で、その最大の特徴に、EDMのDJたちは基本的に自分が作ったオリジナル曲を中心にプレイすることがある。少なくとも半分以上がそういうスタイル。

鹿野:スティーブ・アオキなんかもセットリストの7割以上が自分の曲で、パフォーマンスがDJでもあり、でも基本はライブであるという。

TH:ZEDDとかもそう。言ってみれば、自分の曲を使ったDJというスタイルでのコンサートというか……




鹿野:少なくとも見せ方としては完全にライブというショーですよね。だからクラブよりもフェスが似合う。 

TH:PCでの楽曲制作が手軽になり、若い人たちがギターを買うよりも安く、作曲環境を揃えることができるようになったときに、じゃあダンスミュージック作ってみよう、今だったらEDMかな、となるというところから爆発的に広がったものですから。

Tomo Hirata(左)、鹿野 淳(右)
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デヴィッド・ゲッタが打ち破った

鹿野:今のお話は僕のようなポップミュージック側にいる人間としてもすごくよく分かる話だったんですが、たとえば2 many dj’sやJUSTICEの楽曲って3分半~4分で、クラブトラックというには非常に短い。あれは、(曲を)繫ぐ文化というよりは、曲を次々に「当てて」いく文化というか。そういうもので踊らせるじゃないですか。これって、ハウス的な繋ぎの文化と、ヒップホップなどのカットイン・カットアウト的なものを合わせ、エンターテイメントをさらに注入したものだと想うんです。

で、そういうことをやっていくと、自然とポップミュージックと交流していくし、客演が入っていって色々なアーティストがフィーチャリングとして歌を歌っていく。それが今のEDMムーヴメントですよね。日本だとm-floのようなスタイルが予兆となって、その次世代型としてEDMがあるのか。もしくは、EDMはEDMでシャットアウトしていて、アメリカで火がついたということも含めて、新しく、ゼロから始まっていくものなのか。どうなんですか? 

TH:アメリカでヒップホップの調子が悪くなった時期があったんですよ。そこで、新たなメシのタネを探すときに、アメリカでは4つ打ちの文化が全然普及していないじゃないか、というところで、これを白人のマーケットに持っていけば、ヒップホップの穴を補填できるんじゃないか、というビジネス的な発想から爆発的に普及したのがEDMだと僕は思っているんです。ヨーロッパからの流れと、アメリカのマーケット状況が合流した結果ではないかと。 

鹿野:音楽って、ブルースの時代から黒人を中心に回っていて、というか黒人の作ったものを白人が利用して商業化していく、という歴史の連続が主なるものだったりするじゃないですか。ロックンロールなどの歴史はまさにそうなんですけど

TH:そうですね。ハウスもそうです。元々は、アメリカの黒人のゲイミュージックで、それを商業化していって爆発的に広がったんです。

鹿野:ということは、このヒップホップからEDMという流れも、ある意味、先祖が辿ってきた道のりと同じような解釈と拡散をやっていったという感じなの?

TH:いや、ヒップホップを白人化したわけではないですが……。それは音楽的な流れではなくビジネス的な話で。音楽産業的に苦しい状況だったところで色々と考えて、アメリカでは今までレイヴ、(広義の)EDMが大きくブレイクした歴史がないということに目を付けて、可能性があるんじゃないか、となった。

鹿野:なるほど。

TH:ヨーロッパでは既に、90年代から2003年くらいまでで爆発的なブームになっていましたよね。だから、ヨーロッパでは一段落した雰囲気があったんですが、その後にエレクトロが生まれて、アメリカは今さらなにを言ってるんだろうという感じだったと思うんですが、それが意外と上手く行っちゃったもんで、これ幸いとばかりにヨーロッパも相乗りしたと。それが世界的なEDMブームに繋がった。

鹿野:僕はスクリレックスが大好きなんですけど、彼の音楽はテクノとヘビメタとヒップホップを合わせた、非常にアメリカナイズされたオタク音楽だと思ってるんです。さらに言うと、彼の内臓の中にはハウスがないっていうか。その非常にアメリカナイズされた音楽って、もっと言ってしまえばアフリカ・バンバータの時代のヒップホップにビースティー・ボーイズがかましてきたものと同じような、ラジカルな進化があるなと思いました。

これをEDMと呼ぶなら非常にアメリカ的な音楽だということになるんですけど、でも彼以外のEDMのDJがみんなアメリカ人というわけではなくて。むしろ稼いでるのはほとんどがヨーロッパ系じゃないですか。カルヴィン・ハリスはスコットランドだっけ?

TH:そう。デヴィッド・ゲッタはフランス、アヴィーチーはスウェーデンでZEDDはドイツ。 ティエストやハードウェルはオランダ。 

鹿野:だからこれって、本当に先ほどHirataさんがさっきおっしゃったヨーロッパのクラブカルチャーからの流れだと思うし、僕は去年の『Ultra Japan』に行って、かかってる音楽はほとんど普通の王道トランスにしか聴こえなかったんですね。

TH:トランスからの影響は強いですね。

鹿野:そこで思ったのは、「EDMって音楽のジャンルじゃないな。あの独特のアゲアゲだったり、セレブリティシーンとシンクロした状況のことを指すんだな」ってこと。要は、クラブマナーのない、ヨーロッパのイビザ文化みたいなものじゃないかと思ったんです。けれど、これが今ここまで大衆化されて、なによりアメリカのマーケットといういままでのクラブカルチャーにはなかった、アンダーワールドもケミカル・ブラザーズも制覇できなかった、唯一プロディジーしか勝てなかったマーケットが、ここまで開けたっていうのが、なんだか自分の知らない所で色々起こっているんじゃないかなと、思っているんですけど。




TH:2009年にデヴィッド・ゲッタがブラック・アイド・ピーズとやった『I Gotta Feeling』。この曲がきっかけですね。アメリカ人がハウスミュージックによって大ヒットを出すということは今までできていなくて、それをデヴィッド・ゲッタが打ち破った。そこから大量に流入した。だからある意味、「ユーロピアンEDMインベージョン」みたいなことがアメリカに起きたんですよね。

それに対してアメリカでは、スクリレックス、スティーヴ・アオキ、カスケードくらいしか大物アーティストがいなくて。最近になってやっと、ヒップホップをルーツに持つTRAPっていうのがあるんですけど、そのTRAPがアメリカのローカルEDMとして注目されはじめているという段階だと思うんですけど。

レイヴはサッカー、EDMは野球?

ワン・ダイレクションとやってることと何も変わらないわけですよ

TH:鹿野さんが先ほどトランスにしか聴こえない、とおっしゃられたのも、なるほど分からなくもないとも思います。けれどEDMはアメリカを通っているので、もっと開けた感じです。昔、ユーロトランスというのがありましたよね。あれはロック側の人からしたら好きじゃないジャンルの代表格だと思いますけど、ユーロトランスもヨーロッパのダンスミュージックカルチャーに脈々とあるもので、ある意味アンダーグラウンドなものなんですよ。ああ見えても。それに対してEDMは、メジャーな音楽ですよね。

鹿野:DJカルチャーっていうのはやっぱり、自分が1ポンドも稼げないところからはじめて、そこから成り上がっていく、という文化だったじゃないですか。 

TH:アンダーグラウンド発のものでしたよね。

鹿野:それに対して、EDMはプロデューサー発だと。具体的に言えば、あらかじめ無名の頃からレディ・ガガとかマドンナとかから青田買いされてプロデューサーという肩書きを持ってしまったアーティストが、後にEDM界で売れていっているわけじゃないですか。

TH:はい。作曲ができないといけないから、音楽的素養が必要とされる、ということはあると思いますね。

鹿野:僕は、彼らは日本のボーカロイド発のオタク系ミュージシャンと本質が同じだと思っているんです。彼らはアンダーグラウンドな意識から始まっているものではなくて、ただ単に音楽を作れて、コアがない所から始まっていたりするんですか?それとももっとルーツが体の中にあるんですか?

TH:うーん……ルーツにはやっぱり80年代のハウスミュージックからの流れっていうのはありまして。

鹿野:あ、クラブカルチャーと出自は同じものがあるんですか。

TH:ありますあります。スクリレックスにすらそれはあるんですよ。ボーイズ・ノイズと組んでいたということからもそれは分かるんですが。ただ、今曲を作っている若い子は、EDMでは十代とか二十歳の子たちがいるわけですけど、彼らはハウスの時代なんて知らないわけですよ。いきなりエレクトロからなんですよね。彼らは、ルーツにハウスがあるということは知ってはいますが、それを自分の中には持ってないんですよね。

鹿野:なるほど、その現象は世界的なもので、余談ですが日本のバンドシーンにも同じ現象が3年程前から起きています。洋楽があるのは知ってるけど、聴かない。60年代のロックが今に流れているのはわかるけど、でも聴かない、みたいな。それも含めて非常に分かる気がしてきました。

僕、サッカーが好きなもんで、レイヴってサッカーカルチャーとすごく近いものがあると感じてて。「レイヴ」と「フーリガン」の盛り上がりって極めて似ているんですよ。束の間の一体感と狂騒、その意識がレイヴとサッカーの両方にあるんですけど、EDMはそれがないんですね。サッカースタジアムよりも野球場っていう感覚。ドラッグとEDMの関係は深くわかんないですけど、何だか色んな意味でクリーンな気がする。で、女の子が圧倒的に入りやすい感じがする。というか、女の子が主流ですよね。

TH:フロアでは女の子が主役ですね。

鹿野:その状況を煽るじゃないですか。サマソニのZEDDのライブのLEDスクリーンとか、ひたすら可愛い女の子を映し続ける。あれってきっとマネージャーか誰かが綺麗な女の子を常に狙ってて、カメラに「あそこ行け!」てやってるよね(笑)。それってワン・ダイレクションがやってることと何も変わらないわけですよ。

TH:あー……まあ、うん(笑)

鹿野:そういう地盤があるというか、そこに大きな違いを感じるんですけどね。

TH:ワン・ダイレクションとの大きな違いは、アーティスト本人が曲を書いているということですね。確かに、芸能界的な側面はあるんですよ。

鹿野:今までの電子音楽やクラブミュージックにはなかった、もしくはそれより遥かに大きな力が働いてると。

TH:うん、それは一段さらに上というか、完成度を上げたエンターテイメントということですね。僕が強調したいのは、EDMのトップDJというのは、優れたソングライターでもあるわけなんですよ。例えばカルヴィン・ハリスが代表的な例で、デヴィッド・ゲッタなども、優れたプロデューサーであるということが必要であるということが、アイドルとの違いですね。

Tomo Hirata

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EDMに宿っている思想

ーEDMは、特に海外ではEDM否定派の人たちによる発言が取り上げられたりしますが、クラブカルチャーの正統な流れの中にあるものなのでしょうか。日本ではレイヴカルチャーとEDMは別物あでると捉えている人も多いと思いますが。

TH:(流れの中に)ありますよ。例えば、来年日本に上陸する『EDC(Electric Daisy Carnival)』。ラスベガスのそれは、世界最大のEDMイベントなんですが、総裁のPasquale Rotellaは、90年代のイギリスでレイヴを体験した人で、ロサンゼルスでイリーガルなハウスパーティーを始めた所が同イベントの出発点だった。それがたまたま、アメリカの音楽産業が2000年代後半に仕掛けたEDMの流れに、うまく乗っかっちゃったんですよ。なので、歴史的にはちゃんとその(ヨーロッパのレイヴの)流れの中にいるんですよ。



ープロモーション的にも音楽的にもそこが体感的に伝わってこないのが否定派の人たちの主張の根本にある、または、これが新しいクラブカルチャーであると提示されても釈然としない、という状況があると感じるのですが。

TH:先ほど、鹿野さんからもEDMは「野球」で思想的なものはない、というようなお話があったと思うんですが、実は「PLUR」という思想がしっかりとありまして。「Peace,Love,Unity and Respect」なんですよ。これは、90年代前半のUKレイヴから脈々とあるものなんです。さらに元を辿っていくと、アメリカのヒッピーカルチャーにまで繋がっていくもの。その精神的なものは根底にずっと流れていて、だから『Tomorrowland』には世界140ヶ国からあらゆる人種が来て、国旗を振るんですよ。

鹿野:あー見ました、その景色。ディズニーランドのイッツアスモールワールドが巨大化した感じもしました。あれはあの範疇に入ると、とても興奮するし感動するものなんでしょうね。

ーHirataさんとしては、そういった側面も含めて日本にEDMを輸入してほしいと。 

TH:そうですね。そこが最も面白いと思っているポイントで。音楽的に面白いというよりも、現象が面白い。そこの根底に流れている思想が僕は好きなんですよ。音楽を通じてユナイトしよう、という。

鹿野:しかも、アンダーグラウンドというある意味マイノリティーな意識を持たないでも参加できるんだということが、今までのものと根本的に違うということですよね。

TH:そうです。90年代のUKレイヴは、当時の保守党、サッチャー政権に対するカウンターカルチャーだったわけです。

鹿野:労働党万歳!という左翼思想の象徴でしたよね。それはロックシーンもまったく同じで。でもそれでいざ労働党が政権を取ったら、すぐにこりゃダメだとなる(笑)。何処かの国の数年前と極めて似てましたけどね。

TH:ワーキングクラスのものでアンダーグラウンドだったんですよ。それが、自然に成長していくに従ってアンダーグラウンドからメジャーへ、という流れの最終型がEDMなのではないかと、僕は思っていて。一般大衆に受け入れらるようなかたちで、その精神が伝わっているから僕は面白いと思うわけです。

一番模倣しやすい「味の素」になっている

若者にとって最もフィットする音楽

鹿野:話していただいたこと、知らないことが多くて、バックグラウンドが理解できてすごく有益だったんですけど。でも、今巻き起こっている「EDM議論」って、今Hirataさんが話してくださったことが焦点ではない気がしていて。

ざっくりと言うと、これは音楽じゃなく現象として面白いんだという現象論は置いといて、これが音楽論になった場合、ノエル(・ギャラガー)がアヴィーチーに文句を言って、アヴィーチーが「俺の中のヒーローにこんなこと言われるのは本当に悲しいよ」って言ったというのがあったじゃないですか。あそこでノエルが何が言いたかったかというと、「お前らポップな音楽作ってるけど、ポップ自体はとても不可思議で深みのあるもので、でもお前らのポップさは薄っぺらいぞ」だと思うんです。要するに法則性が音楽としてあまりに強すぎて、その法則の中で同じような音とアレンジの音楽ばかり作っているから、それはリスニングミュージックとしてどうなんだ?みたいなことが根底にあると思うんですよ。まあ、ノエルの音楽もビートルズからの法則性が強いんですけどね。

でも彼の音楽には記号性を超えるブルースがある。でもそういうものがなくて、余計な感情が入り込まないからこそEDMがここまで大きくなっていったとも言えるわけじゃないですか。音楽の記号性が強いから、ポップになっていったんだと思うんだけど。日本でも、EDMだけの問題ではなく音楽がどんどん均一化していて、アイドルもロックもすべてがワンウェイしかないなかでやっていて、そこにまたEDMというワンウェイなものが入ってきた。

ノリやすいし、分かりやすいし楽しいんだけど、例えば昔、小室哲哉が乱発していた音楽と同じ部分はありますよね。ヒットしたし、歌えたし盛り上がれた。でもあまりにも音楽として均一的過ぎて、渋谷の街をみんな同じ服着て歩いてるみたいな音楽シーンになった。ある意味「小室哲哉」という言葉と「EDM」という言葉は一緒ではないかと思うです。そういうニュアンスが日本でも世界でもあるから論争になっていると思うんですよ。この辺というのは、世界的にはEDMはどのような位置づけをされているんですか?

TH:アメリカのEDMはひとまず置いておくとして、フェスのメインステージでかかっている4つ打ちの音楽はハウス、トランス、エレクトロの延長線上というのが僕の個人的な解釈で。様式美化している曲は確かに多いです。ただ、毎年トレンドは変わっていて、去年は「ハードキック」というキックとベースが一体化しているというトラックがトレンドだったんですね。あとは、今日本でも流行っている「バウンス」。



 
今年のトレンドは、オリヴァー・ヘルデンスとかがやっている「フューチャーハウス」、あとニッキー・ロメロのProtocol Recordingsなんかがやっているプログレッシブハウスの一種。ブレイクの部分に歌が入って、その後にベースラインがあるハウスみたいなスタイルなんですね。とにかく、去年とはまったく違う音楽が流行っているんですけど、そこはざっくり観ているひとには分からない部分でもあります。どのジャンルもそうですよね。ロックが様式美化していないかといわれれば、していると思うんですよ。

鹿野:まったくもってそうですね。そのことはロックミュージシャン自体が一番自覚している。

TH:ただ、様式美化しているなかにも新しい試みは出されていて、それが発展につながっているというのはある。そういう意味では、EDMだけが特別に固定化されているとは思わないですね。 

鹿野:なるほど。EDMが薄っぺらく思われるというのは、ロックは時代と寝っころがって紆余曲折を経てきたものという説得力があって、EDMはクラブミュージックとして、ダンスミュージックとしての歴史から、遮断されているイメージがあるんですよね。そこが遮断されているから、ここまでポップマーケット化されているという現実もある。けれど、その遮断されて引き出しは少ない中から生まれているから、すごくレンジが狭い。それはマーケット的にも、音楽的にも。僕はEDMはコマーシャル音楽、時代のBGMとしては今最高の音楽だと思いますよ。ティーンエイジャーに大きな影響も与えているし、救済の音楽でもあると思う。でももっと面白い引き出しを持った曲やアーティストに出てきてほしいとも思います。

TH:語弊を恐れずに言うと、EDMは今の若者にとって最も時代感のある音楽で、一番自分を投影しやすいものとしてある。その背景にはデジタル化があって、インターネットが普及する前と後で人間の生活が変化したことで、音楽をどういう場で聴くんだというときに、皆音楽はスマホで聴くと。それはどういう音楽かといったら、例えばスマホでギターの音を聴くのって辛いんですよ。

鹿野:そうですよね。圧縮性の高いギターロックの曲って、歪んでるギターの音が前に出てき過ぎてて、スマホで聴くと歌が聴こえてこなかったりするんですよ。

TH:そうなんですよ。そこに、ぴったりマッチするのがEDMだったんじゃないかと思うんですよ。薄っぺらいかどうかという問題はテイストの問題なので僕は判断しかねるんですが、今の若者にとって最もフィットする音楽であると。 

ー今の中高生の間では、Facebookなどのプロフィールに好きなものはEDMと書くのがイケている、という話を聞いたことがあります。

鹿野:分かります。音楽が大きく乗り変わっていくなかで、CDが売れなくて、サブスクリプションサービスにしたって、有料サービスになって行く中で実際にやっている人は本当に少ないし、何千何万曲あるといっても、音楽を掘るというツールにもなっていないわけで。盛り上がっているのは業界関係者と、ガジェット好きなライターですよね。

そういう中で、EDMという音楽が実際にこうやって広がって楽しまれているのは、凄く実体があるものだと思います。そのなかで、EDMがポップミュージックのひとつのスタンダードになっていくのかどうなのかだと思うんですね。そこを考えた場合に、スタンダードになっていく意味合いが、いまいち感じられない。今かじってみて、そして通過される音楽というか。別にそれはそれでいいと思うです。ポップスの長所ってそういう部分ですから。でもそれがEDMの過小評価に繋がってもいると思うんですよね。さらに言うと、ヒップホップというのは音楽の歴史の中で、きっと絶対に必要な音楽で、黒人にとってのメッセージミュージックだったわけですよ。

TH:そうですね。

鹿野:対してEDMというのはプレイミュージックであり、エンターテイメントで、メッセージがないのは良いとして、一過性のブームで終わらないという可能性がまだあまり表面化していないと思うんです。その辺は海外ではどうですか。

TH:世界的には先ほどのPLURの精神が根底に宿っていて、行ってみるとわかるんですけど、すごくフレンドリー。なぜあんなに各国から人が集まるかというと、それは、実際の生活が皆かなり悲惨になってきているからだと思うんですね。金こそすべて、という現実の傾向に対して、それを一旦忘れましょうということをやろうとしているのがEDMだと僕は思うんですよ。それがなかったら、EDMの音楽の力だけであれだけ大きなフェスはできないと思う。けれど、それが日本に輸入されたときに正しく伝わっていないという印象は僕も強くて。すごく薄っぺらく見えます。

鹿野:実は日本はEDM後進国なんですよね。たとえば韓国なんかと比べても、数段遅れている。

TH:アジアのなかですらそうですね。

鹿野:先に輸入して広がった、韓国、台湾、シンガポールなどのアジアのほかの都市では、HirataさんがおっしゃるようなEDMのソウルフルな部分までしっかりと浸透しているんですか。

TH:ヨーロッパほどではないですが、ある程度は浸透していると思います。ただ、アジア圏特有のクラブ文化がありまして、そこの壁はあると思いますけど。シンガポールなどの英語圏の国はEDM先進国ですね。あとは、インドもすごいですね。日本は、海外の文化を輸入してくる際に、代理店的な側面が強く出ちゃうんですよ。それがEDMではあまりにも強く出ているなというのは僕も懸念していて。

例えば、ユーロトランスのシーンは今もう日本ではほぼないですが、ヨーロッパやアメリカには「A State of Trance」とかがあって、いまだに大きな勢力なんですよ。どうしてこうなってしまったかというと、やっぱり日本が独自の解釈で文化を潰したのだと僕は見ていて。同じことが起きなければいいなというのはすごく感じますね。

鹿野淳

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一番模倣しやすい「味の素」になっている

鹿野:このEDMというものが今現在どうのこうのっていうのはあまり重要じゃないと思っていて。まず、EDMという音楽が確実に日本の音楽シーンを変えているわけですよね。音楽をエンターテイメント化しているひとつの象徴なんですから。一番の例は、若者が今一番聴いているポップミュージックはSEKAI NO OWARIですが、そのSEKAI NO OWARIが自分たちのファンタジーとエンターテイメント性を表すのに例に出したのがベルギーのEDMフェスの『Tomorrowland』で。

彼らはOwl Cityと一緒にやったりしながら、日本のマーケットに大きく受け入れられているわけですよ。彼らのショーにも音楽にも、EDMを日本流に拡大解釈したものが多い。彼らがなぜ勝ったかといえば、いい音楽を作るのは当たり前。今はそれ以上の事をしなければいけないと。だからこそもっと、音楽を体験できるエンターテイメント化したものにしていこうよという。まるでディズニーランドのような場所で音楽を楽しめれば最高じゃないか。その彼らの考え方って、EDMが日本で音楽としてもビジネスとしても、メインストリーム化していったという現実だと思うんですよ。ただ、純粋なEDMの話に戻ると、この音楽を僕は家で聴かない。 何故か聴かない。



 

20年程前を思い返してみると、例えばデリック・メイだエイフェックス・ツインだと狂ったように平日からクラブに行って、日本のクラブカルチャーの夜明けだ!って盛り上がっていたときに、なにが根底にあったかというと、個人的にはアンダーグラウンド意識やパンク意識みたいなもの、カウンターカルチャー意識みたいなものですよね。それが根底にあって、それがめちゃくちゃかっこ良かったし、エモーショナルだった。

で、そうじゃない音楽もそこにあって、それは当時でいうとエイベックス的なトランスだったんです。今後EDMもそうなっていくのか、それともここでまたひとつ流行のオモチャとして終わっていくに過ぎないのか。どちらでもいいけど、けどその分岐点はもう目の前にあると思います。僕、EDMって「味の素」だと思うです。今、音楽作ってる人にとって、EDMをちょっと振りかけると、かなり美味しいものになると思うんですよね。そういう化学調味料的な音楽だと思う。

TH:僕は、EDMにとって先ほどお話ししたPLURの概念だとか、「Music Unites Us All」みたいな発想は欠かせないもので、それが根底に無いのであれば、EDMは音楽的にはオモチャに過ぎないと思うんです。だから、そういう意味では今のそのご指摘に異論はないです。日本の音楽業界が、そのような扱いをしないで頂きたいなと。

僕はダンスミュージックの最も素晴らしい点というのは、ひとつの音楽の下で皆が踊るということで一体感を味わえるということにあると思っていて、それは人間の根本的なポジティブな部分に触れるんですけど、このポジティブな感じって、今EDMフェス以外でなかなか味わえない。そこを抜きにして、音楽的、表面的な部分だけ要素として取り入れよう、なんてことを始めても、それは一過性のブームで終わりますし、それが日本におけるEDMの流行自体を終焉させる危険さえあると思います。

鹿野:Hirataさんにとっては今の日本における状況と現場は、ベストなものではないと。

TH:僕は『Ultra Japan』と『EDC』を応援しています。(笑)

鹿野:(笑)突っ込んでいいですか。例えば、『Ultra Japan』に行きましたと。お客さんの多くが1人3万円もするVIPシートを目指す。極端に言うとカップルエンターテイメント、VIPカルチャー、セレブカルチャーを楽しみ行くものでもありますよね。あれは日本にとっては新しい遊びですよね。

しかも好きな女の子に格好つけるひとつのアイテムにもなるし、水商売の女の子を連れて行く格好の現場でもあるという、ヤンキー文化にまで通じる遊び場所で、あれは凄い現場が生まれたな、この国にもと思いました。ある意味僕から言わせると、あそこはEXILEやJ Soul文化と同じところにあると思うし、それって日本の真ん中ってことですよね。だからこそこれだけ広がっていった言えると思うし。

だからこそHirataさんのおっしゃったような思想的な要素っていうのはそこに一ミリも関与していないっていうのが、日本の今のEDM文化を支えている現実かなと思うんですよ。 

TH:だから僕が発言するとうざがられるんですよ(笑)日本においては。VIP文化自体は否定しないですよ。それはそれでそういう楽しみ方もあるなと。でもそれを音楽業界で駒に使わないでほしい。本質を見失わないでほしい。 

シーンとアーティストが向かうべき場所

ディズニーの妄想にあたる部分があまりにも知られていない

鹿野:今日、Hirataさんのお話を聞いてこう思ったんですけど。EDMは、8割の人には平田さんが今日話したことは分からなくて良いんじゃないかと思った。

日本にはボーカロイドという世界に誇るカルチャーがあって。これは、ネットミュージックというオタク化していく、孤独な中から生まれた共有音楽として面白いものですよね。このボーカロイドのようにクローズしてく音楽の一方で、開放されていくネットミュージックというか、女の子にモテるネットミュージックというEDMがある。この両軸がでてきたっていうのは、結構良いことだと思っているんですね。

で、EDMをディズニーランドに例えると、ディズニーランドにいる人って多分9割は最高に楽しいファンタジーだ、美味しいチョコレート買った、お土産に何万円使った、そんな感じで楽しんでいると思うんです。だけどディズニーランドオタクと呼ばれる1割の人たちもいて。その人たちは、ウォルト・ディズニーの闇とか妄想みたいな部分が大好きで、ミッキーマウスというネズミがプルートという犬を飼っているみたいな異常な世界や、その倒錯から生まれたファンタジーやエンターテイメントを好きになるっていうひともいる。

その後者が今日Hirataさんが話してくれたことだと思うんですよね。そして日本ではEDMの、そのウォルト・ディズニーの闇とか妄想のあたる部分があまりにも知られていないから、もうちょっと、それこそ1~2割の人達に伝わっていけばいいですよね。

TH:そうですね。EDMはボーカロイドと対比されるようなネットミュージックではまったくなく、PLUR精神の正統なダンスミュー ジックなのですが、それは置いておいて、僕が海外のフェスを推す理由って、思想や知識がなくてもあれだけの空間でトップEDM DJのプレイを聴けば、なにか感じるものがあるはずで、それを感じてもらえればそれで充分なんですよ。

鹿野:ただ、それには音楽的なキュレーターがあと何人か必要なんじゃないかな。音楽ジャーンリストでもある自分が他人事みたいに言うのはよくないことですけど。

TH:それがいないんですよね。結局、今の若者にとって音楽ってすごく軽いものになってるんですね。DJカルチャーにしても、DJがPCでできるようになってからすごく敷居が低くなったわけですよ。DJの存在も、昔のような職人芸のようなストイックな仕事ではなくて、もっと軽くなっちゃって、音楽のあり方自体もずいぶん変わった。

okamabu

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曲としての良さも見てくれよって

鹿野:ただ、フェスとかEDMはDJ自体が主役というより、ステージや演出も含めてトータルで主役なんだというのは、それはそれで今の時代的で良いと思うんです。その上でDJ自体のアーティスト性、ライブ性がもっと増えればいいですよね。

DJにもっとパフォーマンスしろってことじゃないし、スティーヴ・アオキみたいにひたすらケーキばっか投げられても、僕は興ざめする。USB一本ポーンと入れてケーキ投げて客煽ってっていうことに終始しているっていうのはーースティーヴがUSB一本だけでプレイしているというわけではなく、あくまでも暴論の例えに使わせてもらいましたが、実際にUSB一本入れてあとは盛り上げ役に徹するEDMのDJがいるのは知ってますーーこれはとても自虐的なEDMカルチャーのイメージだと思うんですよ。そうじゃなくて、もっとライブとしての表現性は増したほうが良いと思うし、もしくはそうじゃないならそうじゃないなりの音楽表現性みたいなものが、もっと表に出てきたらね。こういう時代だからこれで良いんだよって言ってしまっては、それで終わりだから。

TH:そこは、プロデューサーカルチャーなんで、やっぱり楽曲の良さで勝負なんだと思うんですよ。アヴィーチーがノエルに言いたかったことって、曲としての良さも見てくれよってことで。そこをフォーカスしないと、やっぱりEDMは薄っぺらいものという認識が蔓延して行ってしまう。だから、EDMアーティストは、今後自分の楽曲を磨くということをしていかないと、どんどん軽視されると思いますね。 

鹿野:うんうん。今僕が言った、EDMももっとこうするべきじゃない?っていう指摘は、オールドスクールな発想であって、そこにEDMの未来があるわけじゃないってことですよね?

TH:そこはどのように発展していくかは僕にも分からないですが、楽曲としては完成度が求められるだろうし、アンセムがもっと出てこなくてはいけない。その点、日本のEDMのDJは曲の良さを追求する方向にないなと感じる。ヒップホップやTOP40系から入ってきた人が多くて、そういう人たちの多くって結局クイックミックスでそのまま繫いでいくスタイルなんですよ。それはEDMマナーじゃないんで、そこにはDJカルチャー的なEDMの未来はないなと。

鹿野:カルヴィン・ハリスもZEDDも、彼らの新譜のポップミュージックとしてのアベレージ性はすごく高いですよね。さらにアヴィーチーは何が違うかって言うと、彼のアルバムは『Wake Me Up』という、ひとつアタマの抜けた時代のアンセムがあるんですよね。そういう見せ方を、今のトップEDMクリエイターのすべてができているかっていうと、まだそこに行けてない気がするし。それも新しいテーマですよね。

 



TH:そうですね。そこが予言できる部分では一番クリアな将来かなと思います。優れた完成度の高い曲を作れるEDMアーティストが、より高い地位につくと。

鹿野:ポップミュージックとリンクした必然性が、そこで証明されますしね。

ーJ-POPとEDMのリンクについては、どうですか。

TH:日本のポップミュージックにEDMが入ってきていることは面白いことだと思うんですが、それが世界と連動したEDMシーンの流れの中にあるとは思わないんです。

鹿野:そうですね。例えばSEKAI NO OWARIなどはバンドスタイルじゃないバンド、新しいスタイルで活動していて、それてある意味EDMのスタイルを正統に継承していると思う。でも日本のほとんどのアーティストが、EDMをどう継承しようとしていっているかというと、あのメロディーとシンセライン、そして芸者のようにお決まりの盛り上げをサビ前にして一気にスパーク!みたいなパターンを、バンドセットやポップスのソロスタイルという、昔からのスタイルで無理矢理模倣しているのが2015年夏の現状で。このままなら、多分日本では今年で終わりますよ。それがこの国のいつもの喰い散らかし方でもあるしね。

そうなるとHirataさんの訴える思想性も伝わらないままになってしまう。普通のバンドセットでEDMをやっても、やっぱりリズムの角や音のアタックが弱くてつまらないんですよ。そういう人が色々いてもいいんですけど、ちゃんとボトムの太い音でカルチャーをブーストしてくれるアーティストがもっと現れず、EDM風のものだけが上辺だけで模倣されていくと、一時は楽しかったけどもう面白くないねってなっちゃう。その可能性は強いですよね。良くも悪くもそうやってこの国のポップは更新し続けてますから。

TH:代理店的な感じでEDMを取り入れた感じのものは、極端な話、僕がやっているこっち(海外)のEDMとまったく関係がないし、僕には守備範囲外です。

鹿野:今日、Hirataさんから聞いた話は、いろいろな場所でして伝えて行きたいです。でも、それを聞いて「ああ、なるほどね」とはなるかもしれないけど、それによって日本のEDMが面白くなったり説得力が増すかといったら、それはまだこれからですね。

TH:僕みたいな立場の主張を発信する場所が今ないんですよね。雑誌も状況が難しくなってきているし、ウェブメディアは内容的な深さが求められないところがあるし。(EDMの)良さが伝わっていないという歯がゆさはあります。

鹿野:一番こういったことをユーザーに強く伝えられるのは、そういうことを全部分かっている日本のEDMスターが出てきて、メッセンジャーになってくれることですね。 KSUKEとか世界をサーキットするアーティストも日本人でいますが、もっと突然変異のEDMスターが出ていたら、状況はガラッと変わりますから。

TH:世界的フェスに出ても、プロデューサー文化なんで、自分の世界的ヒット曲がなければ何の説得力もないんですよ。『Tomorrowland』を観るとわかるんですけど、DJたちの「ここでみんなで音楽のもとにユナイトしよう」っていうようなMCが入って、観客がワー!となるんですね。その瞬間が素晴らしいんですよ。トランスっぽいEDMが素晴らしいんじゃないんです(笑)。それができる日本人のDJが現れてくれたら。「ワンツースリージャンプ!」だけじゃなくて、実はもっと深いところに魅力があるジャンルなんですよ。

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