東京の変遷を見続けてきた1日1組限定のホテル、東京リトルハウスとは

Mari Hiratsuka
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Mari Hiratsuka
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居酒屋や飲食店が立ち並ぶ赤坂の繁華街に、2階建ての木造家屋がある。1948年、戦後まもなく建てられたこの家は、変わりゆく赤坂の街を見守り続けてきた。

その古民家が、元の建物を生かしながら大幅にリノベーション。2018年2月より、東京リトルハウス(TOKYO LITTLE HOUSE)の名のもと、約10坪の建物は、1階はカフェ、2階は1室だけの宿泊施設として運営している。 

代表を務めるのは、人文書などの編集に携わってきた深澤晃平。彼の祖父母によって建てられたこの建物には、祖父母の死後も、親族や彼自身が住み続けてきた。幼い頃から毎週のように通っていた赤坂の家に学生時代から住むようになり、「外国の都市を旅行するのと同じように、東京の街を歩き回るのが面白くて仕方なかった」という深澤。東京への興味が深まるとともに、かつてこの都市に広がっていた風景に想像をめぐらせながら、観光の拠点となる場所へと祖父母の家を生まれ変わらせたいと考えるようになった。

「東京リトルハウス」というネーミングは、1943年にアメリカで出版された絵本『THE LITTLE HOUSE』に由来している。丘の上の小さな民家が周囲の都市化とともに高層ビルに囲まれ、やがて郊外へと移っていくという物語だ。焼け野原に建ち、高度経済成長やバブルを経て今日まで東京の変遷を見つめてきたこの家を題材に、『ちいさいおうち』の物語を東京版へと読み替えてみたかったと深澤は言う。

 『THE LITTLE HOUSE』(邦訳『ちいさいおうち』/岩波書店 作:バージニア・リー・バートン)

実際の改修にあたっては、電気や水道などの専門工事はプロに依頼するも、大部分は大工の指導のもと深澤の妻でライターの杉浦貴美子と、翻訳者のサム・ホールデンがDIYで手掛けた。

まずは2階の宿泊施設から紹介していこう。急な階段を上って客室に入ると、ベッドルームと6畳の和室がある。当時はどの家もこんな風だったのだろう……とノスタルジーを感じさせる6畳の和室は、昭和20年代の建築当時からほとんど手つかずの状態で残されている。

2階 客室 

リノベーションでは、床や天井部に断熱材を入れ、二重窓にして防寒、防音対策をするなど居住性を高めた。また一部の壁を取り除き、モダンに改修したベッドルームと昔ながらの和室に連続性を持たせるようにした。

「何を残してどこを変えるか、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論を妻と繰り返しました」と深澤は笑う。

かつてこの家で使用していた建具や生活用品なども、随所に再利用している。床の間の板は、ローテーブルの天板に。台所で使われていた引き戸は下駄箱の棚板へと生まれ変わった。キッチンの食器棚には、押し入れの棚板を使用している。建築当時からの木枠の窓(リノベーション時に外側にもう1枚、窓をはめ込み、二重窓にした)を開け放てば、手を伸ばせば届きそうな場所に赤坂のネオン街が広がっている。

土壁の一部はあえて露出、竹小舞を見せることで、かつての日本家屋の造りが分かるようにした

開業以来、宿泊しているのはほとんどが外国人。しかし、日本人が滞在しても存分に憩うことができそうだ。電子レンジや冷蔵庫、IHクッキングヒーターに炊飯器も用意しており、暮らすように旅気分を味わうことができる。

1階はカフェ&ギャラリーとして営業。有名コーヒーロースターに勤めていた、深澤の実妹が切り盛りする。丁寧に淹れたコーヒーはテイクアウトでも提供。おいしいコーヒーと一息つく時間を求め、近隣の勤め人や観光客が後を絶たない。そして、日本におけるクラフトビール人気の火付け的な存在でもある埼玉、川越にあるコエドブルワリーのクラフトビールや、目黒に工房を持つ、もりかげ商店の焼き菓子も販売している。

 深澤愛

 古い建材や道具を使ってDIYしたアイテムを随所に配した。入り口のドアノブには昔の下駄も……

ギャラリーでは「東京の歴史」をテーマにした展示をしており、現在は、敗戦直後に米軍によって撮影された東京の風景に向き合う『東京零年』(キュレーター・佐藤洋一早稲田大学教授)を開催中だ。「空襲から間もない、焼け野原が広がっていた東京の写真は、日本にはあまり残されていないんですよ」と深澤。そんな写真とともに、占領期の東京の風景を記録した貴重な写真集や、戦前から占領期に日本を訪れた外国人向けのガイドブックや地図など、ほかではなかなか目にできない珍しい資料を直接、手に取って見ることができる。今後もギャラリーでは、東京の光が当てられていなかった部分を紹介していくという。

「一見するとかわいらしい『ちいさいおうち』ですが、この家が建ったのは焼け野原。そこでは10万人以上の人が亡くなっている。そんな、今の東京からはまったく想像のつかない歴史に想像を巡らせてもらえたら」と深澤は力をこめた。

昭和20年代から使われていた、木製の硝子戸をあけ、喧噪(けんそう)の赤坂から、「古き良き」だけでは済まない昭和にタイムスリップして、都市のルーツや来歴を想像してみてはいかがだろうか。

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