インタビュー:日高正博

フジロックの行方を聞く

テキスト:
Kunihiro Miki
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インタビュー:三木邦洋
撮影:morookamanabu

一週間後に迫った今年の『フジロック』。すでに全ステージのタイムテーブルも発表されているが、20周年という大きな節目に相応しく、ステージの大小を問わずそれぞれツボを押さえた、『フジロック』ならではの幅広く充実したラインナップとなっている。アーティストの面子以外にも『オールナイトフジ』の復活や、オレンジコート跡地にオレンジカフェが登場、そして2日目のBECKの後にはスイングジャズをテーマにしたスペシャルプログラム『G&G Miller Orchestra』が開催されるなど、『フジロック』らしい意欲的な姿勢が存分に感じられる。

タイムアウト東京では、昨年の開催終了後に『フジロックの行方』というコラムを掲載した。これは、近年の運営やブッキングの傾向に関して記したものだったが、内容に関しては後ろ向きな嘆き節として否定的に捉える声もあった一方で、共感的な反応も多かった。今回、幸運にも『フジロック』の創設者である日高正博本人に直接話を聞く機会を得た。先に述べておくと、件のコラムを読んだ日高は「これはただの意見だな」と、そして、筆者の質問についても「インタビューじゃなくて感想会かよ」と、厳しく返された。『フジロック』についてなにを聞き、知りたかったのか。不甲斐なさを抱えながらインタビューを振り返ると、日高の言葉のひとつひとつが霧を晴れさせてくれた。「たかがロックフェスティバルとは言わないけど、楽しめるかどうかだろう」。本記事ではアーティストのラインナップについては触れていないが、それでもきっと今年の『フジロック』が待ち遠しくなる、そんな内容になっているはずだ。

本当は「ロックフェスティバル」という名前にもしたくなかった

ー『フジロック』の初期のころに日高さんが発信されていた「これはロックフェスティバルで、大型コンサートではないのだ」というメッセージを、改めて新しいお客さんにも知ってもらいたいとか、そういったことは考えたりされますか。20周年ということもあり。

日高:ないない(笑)。20年だからどう、とか考えてやってきたことは一度もないんだよね。今日を過ごしたら明日があって、毎日面白いことがないかってことを考えて過ごしてる。子供のときから。音楽業界に初めて入ってから30代までで、これはおかしいという矛盾をたくさん感じて、「もっと音楽を楽しめないかな」っていうことを考えて、その延長線にあったのがフェスティバル。音楽を中心に遊べる場所っていうのが俺にとってのフェスティバルのというものの原点だから、10年目とか20年目っていうのは関係ないよね。そりゃ、お客さんの安全に関わることだから、お客さんがそれぞれやり方を身につけてくれるように、ということは当然考えるし、そういう意味で当初は発信していたんだよね。

で、そのほかのイベントで、フェスティバルになっているものと、そうじゃない、単なる大型音楽スーパーマーケットになっているものがあるわな。はい、ここに並んでくださいっていう、動物園か水族館みたいなさ。俺はそういうの嫌いなんだよな、どっちが観られてるのか分からない動物園とか水族館みたいなものって。気候の違う土地に連れてきて檻の中に入れてさ、不自然じゃない?どっちがお客さんでどっちが演奏者なのか、それは自分らで考えることであって。これは特定のイベントを指しているわけじゃなくて、一般論。

だから、ひとつ言いたいのは、馴らされるのは嫌だっていうことなんだよ。この列を辿っていけばどこかに行けますなんていうのは。フジロック的なるものっていうのがあるのかどうか俺には分からないけど、こういったものをやりたかったし、正しいことかどうかもわからないけど、「やりたい!」となったら止まらないんだよ。10代から30代で南極と北極以外の色々な国をまわったけど、それぞれの音楽とそこにある文化を、日本の人たちにももっと観てほしいし知ってほしいと思った。

70年代とか80年代からの日本の音楽ファンはインドア派が多いんだよな。聴いて、詞とライナーノーツを読んで、っていう。それはそれで素晴らしいんだよ。エルヴィス・コステロも褒めてたけど、言葉が違うのにこんなに自分たちの詞をしっかり読んでくれている国はないって。それはひとつ誇り。だけど、そこから横に伸びていかないんだよね。

日本っていう国は、カテゴライズするのが好きな国なんだよな。そうすると安心するというか。九州の人は酒が強い、とか嘘をつけって(笑)。音楽でも絵画でもそう。そうすると停止しちゃうんだよな人間って。自分の目とか耳を肥やすってところまで行かない。音楽とかアートとかって、次から次へぶち壊すものが出てくるのが当たり前なんだよ。それはロックンロールと呼ばれたかもしれないし、パンクと呼ばれたかもしれない。でも、ずっと同じことばかりやっていてもそれはロックでもパンクでもなんでもない。それは演歌になっちゃう。マイクの持ち方はこうで、女は振られたら北に行くとかね。なんで北に行かなきゃいけないの?隔離政策かって(笑)。とにかく、ぶち壊す作業だと思ってる。ビートルズもプレスリーとかの影響を受けて、ぶち壊している。じゃあ、そういうロックンロールも大きな源であるアフリカの音楽とかをお客さんに観てもらって、楽しんでほしいというのが原点だったよね。色々な音楽を聴いてほしかった。でも、正しいかどうかは分からなかった。でも1回目、チケットがソールドアウトしたときは、時代が来ていたんだなと思った。

ーフェスティバルの中身を考えるときに、お客さんの頭の中からそういったジャンルとかカテゴライズしてしまう思考が吹っ飛ぶようなものになるように、と。

日高:うん。本当は「ロックフェスティバル」という名前にもしたくなかった。世界中の音楽を呼びたかったから「ロック」と付けたくなかった。でもまあ……安全策かな。

 ー1999年に苗場へ移ってから、ステージのバリエーションができました。そうして色々なジャンルやスタイルの音楽がなんでもありの状態で、そうした状況をお客さんが受け入れて、理解して楽しんでくれているな、という手応えはどういった時に感じますか。

日高:簡単だよ、お客さんの笑顔だね。嬉しいよ、見てて。俺の夢っていうのがあって、もし俺が客だったら、チケット買ったけど、なにも観なかったと。

ーなるほど(笑)

日高:いい天気だなってひっくり返って、ビール飲んで。どっかのステージの音と、あと、バッテリーのエンジン音ね(笑)。やかましいなあと思いながら、みんながキャーキャー言いながら、すごくフリーで。それがなにより、一番楽しいよね。疲れたな、辞めようかなと思っても、そういう顔を見ることができる限りは、やれるかな。

EDMだろうとなんだろうといいとおもう。チャンスなんだよ
morookamanabu

EDMだろうとなんだろうといいとおもう。チャンスなんだよ

ー新しい音楽と古い音楽が同居していることも『フジロック』の大きな魅力だと思うのですが、新しめのジャンルで言うとたとえばEDMのアーティストも近年出演しています。EDMの是非をお聞きしたいわけではないのですが、トレンドの追い方、拾い方次第では、散らかった印象になってしまったり軸がぶれてしまうのではないでしょうか。去年は少しそうしたブレが見えたラインナップだった気がしました。

日高:そこまで考える必要はないんじゃないかと思うけどね。たかがとは言わないけど、楽しめるかどうかだろ?結局は。EDMは日本のマーケットにとってはスパイスなんだよ。そりゃアメリカとか南米は何十万人とかですごいよ、EDMは。あってもいいんじゃないの?って。どの道消えていくもの。

ー本場のEDMのフェスティバルのコンセプトとかスピリットに多少なりとも共感したから、そうしたアーティストを出しているというわけでも……。

日高:ないね。面白いねってだけ。3年したら消えているかもしれないけどさ。面白いと思っているんだよ。ケミカル・ブラザーズとか、アンダーワールドは『RAINBOW 2000』(1996年)のころからの付き合いなんだけど、ダンスミュージックが盛り上がっていた当時のロンドンでのパーティーではみんなエクスタシーをやってさ、もう酷かったよ。でも、EDMは娯楽産業でしょう。だから健全であるし、それと同時にゴミなんだよ。トゲのないものは俺にとってゴミ(笑)。

ーなるほど(笑)。EDMのライブの、盛り上がる部分もみんな一緒で合唱して、という非常に単一的な楽しみ方が、気ままな『フジロック』と少し相容れないのではないかなと。邦楽のアーティストのライブもそんな光景がありますが。

日高:新興宗教みたいだよな(笑)。とにかくEDMはスパイスなんだよ。それはさ、結局君がカテゴライズしちゃってるんだよ。なにがあったっていいんだって。三味線一本だっていい。そりゃ、俺らが選んで出しているものだから、それなりにパワーのある音楽のはずだよ。ベースとドラムがいるからロックなんじゃなくて、涙が出るほどパワーがあるもの、良い歌詞と良いメロディーと時代性のあるものがロックなんだよ。

君の言う楽しみ方については、日本のアーティストではそれは大いにある。井上陽水さんは、当初俺と清志郎君で口説いたんだよ。『フジロック』に出てくれって。彼とか、日本のアーティストって、それまでは同じお客さんしか相手にしてこなかったところがあったんだよ。どんな曲をやってもお客さんは全部知っていて、っていう一番安全な状況。そこで、ロックフェスティバルという畑違いのところに行くというのは、そりゃ不安だよね。だから陽水さんの1回目は、すごかったね。緊張しちゃって。清志郎くんが彼は夏風邪を引いてるって言ってたけど、本当に陽水さんは汗だくで(笑)。で、1曲目の『傘がない』で、会場全体が水を打ったようにシーンとしてさ。感動したな。

ーお目当てのビッグなアーティスト以外ほとんど知らないで来たお客さんが、それまで聴いたことがなかった種類の音楽に目覚める場所になるように、という狙いはやはりありますか。

日高:狙いというよりも、感じてほしいということだよね。「ロックフェスティバル」という名前にしたくなかったと言っていたわけだから、アフリカから南米から中国から、日本の民謡なんかもあって、ということが一番最初にやりたかったことなんだよ。それだけじゃお客さんが来ないから、コアになるアーティストを呼んで、そのまわりに色々なものを置くと。それで、観るつもりのなかったバンドがめちゃくちゃ良くってさ、ていうのが夢なんだよね。それはもうざまあみろって感じ。それがEDMだろうとなんだろうといいと思う。チャンスなんだよ。

ー著書で記してらした7日間ぶっ続けの『フジロック』の野望はまだありますか。 

日高:いつかはやろうと思っているけどね。俺が死んでからかな(笑)。月曜から木曜はアマチュアが出て、ってことなんだけど、成り立たないだろうね。レストランも準備しなきゃいけないし。週末だけやっていればリスクも少ないし安全なんだけど、生意気なこと言わせてもらえば、日本の休暇のシステムを変えたかったんだよね。「『フジロック』のためなんかに休暇やれるかって言われたので仕事辞めてきました」って人がいてさ。なんで?って(笑)。若いころの1週間は非常に貴重だよ。一番良い経験ができるときだもの。それで君たちはチケットを買って良い経験をして、俺たちはお金が入って。詐欺師だな俺は(笑)。

ー(笑)。1週間の『フジロック』、最高ですね。

日高:夢は夢で持っていた方がいいよな。

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老兵は死なず、ただ消え去るのみ

ー近年でなにか会場やお客さんの雰囲気で感じた変化はありましたか。

日高:そりゃあるよ。ゴミの問題にしてもさ、最近はクリーンなんだけど、なんか違うなっていうのも感じるわけだ。20年経つと、若い世代のお客さんへの伝わり方の歯車にオイルが必要かなというか。

ーなにがそのオイルに相当するのでしょうか。

日高:お客さんに優等生であることを求めないキャンペーンだろうね。緩やかにやりなさいと。優等生的にただAからBに、というのでは自立性がない。フェスティバルになぜ自立性が必要なのかってこともあるけどさ、要するに、定型化するのが嫌なんだよな。ここに来たからにはこうしなくては、とかっていうのはお見合いじゃないんだからさ。お見合いってしたことある?

ーないです。

日高:俺もないんだけどさ。でももしお見合いがあったら俺は一個やりたいことがあってさ、相手をいきなり押し倒して脱がしたい(笑)。

ー(笑)。近年で少し感じるのは、会場で奇抜な人、ちょっと変なお客さんを見かけることが減ったなと。

日高:変なやつはいたほうがいいんだよな。そういう意味で言えば、なんでも黎明期ってのはあるんだよ。グネグネした変な時期。それがだんだん定型化してきたときっていうのが、曲がり角なんだよ。そこをどうやって曲がっていくかってこと。でも、フェスティバルはそんなにいちいち詰め込みすぎるもんじゃないからね。楽しめるかどうか。多少汚くてもいい、喧嘩があって殴られてもいい。その代わり倍殴られても文句言うなよって。後で反省したり楽しかったり。それが若さの特権なんだから。

ーなるほど。曲がり角の先の、これからの『フジロック』はどういったものになるのでしょうか。

日高:俺はさ、いつ消えても良いんじゃないかなと思ってる。役目は果たしたなと。実際、2年目も考えてなかったからね。でも、1年目で台風があったから(翌年以降を)やる気になった。もし台風がなかったらいい気になっていたかもしれないから、あれがあってよかったんだよ。気持ちから体からズタズタにされて、スタッフも泣いたよ。あの日のことは絶対忘れないな。で、ミーティングで「オッケー、終了」と。その(中止を決定した)瞬間から、よしやってやろうと。それで2年目は豊洲で、都会のこれで失敗したら嘘だろうという環境でやって。その後、「山に帰ろう」ということで苗場に移って。

ーそれから20年間続いたというのは、やはり毎回課題や挑戦したいことが見つかるからでしょうか。

日高:ロケーション的にはないね。音楽的な内容はあるよ。まだまだ、あんなものやこんなものを聴いてほしい、観てほしいというのはある。それによって小さな環境を作りたいというのはあるよね。でかいものではなくて、花園みたいなもの。グリーンのでかい音が聴こえてくるなかで、昼寝ができるようなところだね。

ー現在の全体の運営やブッキングでは、割合として実際にどのくらい日高さんの手が入っているのでしょうか。

日高:今や結構(ほかのスタッフに)任しているよね。でも、ノーを出す時もある。そのコンセンサスがわかってもらえない時に「なぜですか」って聞かれるけど、それはもう答えは一個だけ。俺が聴きたくないから。今年はまあ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズとかBECKとかは俺の手が入っているけど。

その年の『フジロック』が終わった瞬間は、とりあえず忘れたいんだよな。でも、どんどん来年の話が来ちゃうんだよ。現にもう来年の出演に関して、アメリカとかイギリスのアーティスト側から話は来てる。こういう具合に回ってしてまっているんだな……というのは思うね。皮肉だなって思うけど、それはやっつけていかないと。

ー「回ってしてまっている」というのは。

日高:要するに、海外のアーティストやマネージメントからの話っていうのが、それ自体がルーティン化しているんだよ。俺たちは、『フジロック』はそのルーティンワークのなかに入っているんだと。向こうの予定のなかに入っているから、答えなきゃいけない。だから、今のところそれはストップはかけられない。まあでも、うちのスタッフもいるから、俺がいつ死んでもちゃんと仕事をやれたり、作業ができるようにやらなくちゃいけないとは思っているよ。

ーアーティスト側から来る依頼とは別に、スマッシュ側のスタッフの方々が目をつけて発掘する部分というのも、もちろん一定の割合であるわけですよね。

日高:それは多いよ。スタッフの連中が日高さんこれどうですか、って言ってくるのが50%以上だろうね。俺は変なことしか考えてないからさ。今年だったらスイングジャズとの融合を考えた『G&G Miller Orchestra』とか。でも、それ(アーティストを発掘すること)がないとだめだよね。それは将来も考えての話だけど、若い人たちが自分たちで成り立たせるようにしないと。俺たち年寄りがいちいち言っていることのほうがおかしいのであってね。自分たちが誰をどこに出したくて、って考えるのが健全。これまでは俺のワンマンだっけど、ワンマンでやりたかったわけじゃないんだよ。俺の性格上そうなっちゃうだけで(笑)。だから今は、一歩下がって、二歩下がって、他人の意見を尊重している。

ー若い世代へのバトンタッチを考えつつなのですね。

日高:うん。確かにスタートさせたのは俺だから、(『フジロック』を)始めたときの面白さを継いでほしいと思う。ただ、マッカーサーの言葉じゃないけど「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と。俺はそっちのほうだ。やるだけのことをやったらバイバイだよ。いつまでも俺が大将だとかでインタビューを受けていることのほうが不健康なんだよ。誰かが作ったなにか、ってのがおかしいんだよ。俺は別に施しをしているわけじゃなくて、金をもらってやってるんだからさ。金もらって敬われてって、おかしいよな(笑)。知らねーよって。

FUJI ROCK FESTIVAL '16
日時:2016年7月22日(金)〜2016年7月24日(日)
会場: 新潟県湯沢町苗場スキー場
時間: 9:00開場 11:00開演 23:00終演予定
出演: 国内外約200アーティスト
主催: SMASH Corporation
 
※前夜祭は年7月21日(木)
※チケットは7月24日(日)1日券、および7月24日(日)駐車券は売り切れ。

昨年のレポートはこちら

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Text by 三木邦洋 一時は開催期間中の台風上陸が危惧されたものの、終わってみればほぼ連日快晴に恵まれた2015年の『FUJI ROCK FESTIVAL '15』。動員数も2015年は11万5千人と、少々不振だった昨年の10万2千人から増加した。  さて、アーティストたちのステージレポートは専門メディアに一任するとして、2015年の「フジロック」は少し冷静に振り返ってみたい。なぜなら今年のフジロックは、近年の日本における音楽のあり方、聴かれ方の変化、言い方を変えれば、シーンや業界の脆弱化が象徴的に映し出された年だったからだ。

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