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インタビュー:小橋賢児

3年目のウルトラ。日本最大規模のダンスミュージックフェスの指針

インタビュー:髙岡謙太郎
撮影:谷川慶典

間もなく開催となる『ULTRA JAPAN 2016』。同イベントは2014年に初開催され、2015年には3日間で9万人、そして今年は3日間で12万人が集まる国内最大のダンスミュージックフェスティバルとなった。とはいえ、急速に拡大したこのシーンに対して理解されていない部分はいまだに多い。『ULTRA JAPAN』の想定するダンスミュージックとは。イベントの理想形とは。ダンスミュージック初心者を魅了しながら呼びこむ仕掛けは。

その鍵を握る人物は、同イベントのクリエイティブディレクターを務める小橋賢児。俳優としてのキャリアが広く知られている彼だが、『ULTRA JAPAN』の広告塔として据えられているわけではない。彼自身、海外のフェスティバルによる体験で人生観が変わり、世界各国で巨大な規模で開催される『Ultra Music Festival』を日本でも体験してもらいたいという、彼自身の自発的な想いからこのフェスティバルは始まったのだ。イベントの舵取りを担う彼の明確なビジョンに、3年目を迎えたこのビッグパーティーの本質を垣間見ることができた。

メディアで言われているところのEDMではない

―『ULTRA JAPAN』はEDM系フェスティバルの象徴的存在とされていますが。

小橋:僕らは一度も自分たちでEDMフェスティバルと言ったことがないんです。基本的に『Ultra Music Festival』は、ダンスミュージックの祭典なんですよね。 ダンスミュージックって、常にジャンルが変化していて、実はEDMという言葉すらもメディアの中で意味合いが変わってしまったんです。もともとは「エレクトリック・ダンス・ミュージック」という単語で、電子音を使ったダンスミュージックを包括したシーンの総称で、ロックやヒップホップのような大きな枠組なんです。

一気に広まった時にEDMという言葉が一人歩きして、その時に知られたのがビックルームといわれるハイテンションな音楽ジャンルなんです。それを各メディアやレコード会社が「EDMチューン」として派手でアゲアゲの音楽として広めた。そのタイミングで世界中でフェスティバルもムーブメントになったから、その手の音楽やイベントがイコールEDM系とされてしまった。なので、EDMフェスティバルって勝手に言われましたが、主催者側がEDMフェスティバルと言ったことは一回もないんです。

ダンスミュージックのシーンは移り変わっていて、じゃあ今回出演するKygoやDJ SnakeはEDMなんですか?という話で。いわゆる世の中の人が思っているようなEDMの音ではないです。『ULTRA JAPAN』が提供しているのは、新しいシーンや音楽ジャンルです。例えば、テクノのDJがシーンのど真ん中に来たらメインステージに立つわけで、2007年にJohn Digweedが立ったこともあったんですよ。昨年はトラップのアーティストがメインステージに出たりと、扱うジャンルは幅広いです。本来の意味での「エレクトリック・ダンス・ミュージック」という枠組みでやっているつもりで、メディアで言われているところのEDMではないんです。

『ULTRA JAPAN』のメインステージでプレイされるような音楽は、慣れていない人には騒がしく聞こえるかもしれないんですが、僕はこれはフェスティバル・ミュージックだと思っていて。数万人が集まる規模だからこそ、トランシーな高音が伸びて下に低音が入る、広い場所に栄える楽曲になっていて、フェスティバルの会場が巨大化したことによって必然としてああいう音になった。それを小さいクラブでガンガンやるから、ちょっとおかしなことになっていて。壮大な空間で演出や音響など含めて聴くと、考え方がガラッと変わると思います。情報だけで偏見を持っている方はまず体感してほしい。

―確かに。自分もその音楽が本来鳴るべき環境で体験して、本質的な魅力が理解できた経験があります。国内のDJが『ULTRA JAPAN』に出たい場合はどうすればいいですか。

小橋:今は作曲を初めてからあっという間に作品リリースの段階に行くことができる。それこそ、Oliver HeldensやKygoなどはお客さんとして『Ultra Music Festival』に来ていて、1年後にはメインステージに立っているみたいな。それは曲がヒットして世界中の人が聴いているからで、それぐらい今のシーンはいきなり上がって行ける可能性がある。

若い人たちはコンピュータで曲をパパッと作ることができる。そういう意味で僕はBanvoxという日本人の若手を推していて。彼の音楽を聴いた時に感動して、直談判で長文のメールを書いたぐらいなんですよ。また彼のインタビュー記事を読むと、「人生でやりたいことがなくなって死のうと思ったけど、親に音楽ぐらい残していこう」と思い、音楽ソフトを持って部屋に籠って独学で半年間で作り上げた音楽が、大手音楽配信サイトの『Beatport』で世界第2位になるというストーリーが書いてあり、彼の熱意にも感動して。彼のようなアーティストを『ULTRA JAPAN』としてサポートして、むしろ我々を踏み台にして世界に行って欲しいと思ったんです。

それは本国の『Ultra Music Festival』のマインドにもあります。Aviciiも無名だった頃からサポートをして、1年後にはメインステージ。そして世界に羽ばたいていく。マイアミの『Ultra Music Festival』は毎年3月に行われて、その年の音楽の流れを決める。新人をいち早く見つけてサポートして世界に出していく重要なイベントなんです。

音が視覚的に分かるビジュアルとしての共通言語

―DJが自身のヒットチューンをプレイすると盛り上がりますよね。

雰囲気に合わせてレコードをプレイするのではなく、音楽プロデューサーが皆の前で自分の曲をプレイするというスタイルは解せない、という論争はいつも起きていますね。

プロダクションという面では、今の海外アーティストは音楽だけでなく映像チームや照明チームを連れてきて、空間の総合演出をするプロジェクトとしてやってきて、壮大なショーエンターテイメントを見せるという感じなんですよ。Skrillexも言っていますが、「自分はSkrillexというプロダクションチームの一員で、DJとして出る側なんだよ」という感覚。

―『ULTRA』を中心にしたダンスミュージックシーンでは、それが世界基準なんですね。

小橋:僕が驚いたのが、昔『ULTRA KOREA』で日本人のDJをブッキングした時に、彼らがロゴを持っていなかったんですよ。海外のアーティストたちはロゴを持っているのが当たり前で、音が視覚的に分かるビジュアルとしての共通言語なんですよ。それは多民族多文化で世界を移動している人からすると、まったく知らない人たちにビジュアルで自身の音楽を説明する道具だった。日本は島国ゆえに説明しなくてもわかるだろうという世界に生きているから、誰もロゴを持っていなくて。その時点で世界に挨拶する名刺的な道具が足りてなかった。でも最近はみんな分かり始めて。

―グローバルな視点を与えて変化を生み出すのも、小橋さんや『ULTRA JAPAN』のチームの仕事だったり。

小橋:僕だけじゃないんですけど、それは少しずつ。

―小橋さんは『ULTRA JAPAN』にクリエイティブディレクターとして参加されていますが、どういったことをされているのですか。

小橋:もともとは韓国で行われている『ULTRA KOREA』のメンバーとして、6年前に唯一日本人として参加していました。韓国はダンスミュージックのシーンが根付いてなかったんですが、『ULTRA KOREA』の開催によって普段クラブに行っていなかった層もクラブに行くようになり、今の日本にも必要なんじゃないかと。クリエイティブディレクターという役職を与えられたわけではなくて、日本に持ってきたいと考えたところから始まっています。

「このフェスティバルに行こうよ」という個人プレゼンができる素材が必要

「このフェスティバルに行こうよ」という個人プレゼンができる素材が必要

―『ULTRA KOREA』での体験が大きかったんですね。

小橋:そうですね。『ULTRA』を通じて「人々のライフスタイルが変化するきっかけを作りたい」というのが始まり。そこから、僕がお金を集めたわけではなく、エイベックス・ライヴ・クリエイティヴの社長と本国マイアミの『Ultra Music Festival』で出会って交渉して。

SNSを通じてのPRの戦略を考えて、SNSチームを作ったり、ファッション層にアピールするためにファッションチームを作ったり。ファッションやSNSを強化するのは、いま増えてきたと思うんですよね。当時はそういう考えの人はいなかった。どんどん無料でSNSにアップさせたり、無料で生放送を提供したり、アフタームービーにお金を掛けたりというのは、いまはだんだん当たり前になってきている。

僕は2007年頃にアメリカの大学に通っていて、外国人の友達とコミュニケーションをとるためにわりと早く『Facebook』をやっていた。それから2010年〜2011年くらいにかけて映画『ソーシャルネットワーク』の影響もあって、日本含めて世界中が一気に『Facebook』をやりはじめた。その頃から『ULTRA』や『TOMORROWLAND』のように数千万回単位で再生されるアフタームービーが公開されるようになって。それをみんながシェアして、フェスティバルやダンスミュージックに興味がない人に届くようになったんです。

SNSは、個人のチャンネルなので自分をアピールしたいわけじゃないですか。「このフェスティバルに行ってきたよ」「このフェスティバルに行こうよ」とか、個人プレゼンができる素材が必要だと思ったので、フォトジェニックな写真を撮れるような空間、施策、映像だったり、簡単に一言でプレゼンできるようなSNS用の材料を揃えました。

立ち上げの時は「世界のシーンがそうなっているのでそうすれば広まっていきます」ということをみんなに説得したんです。しかし当初は、過去にやったことのない規模だったのでネガティブなことを言われて。こういうフェスティバルをやっても当たらないし、どんなに大きくても日本のダンスミュージックシーン全体の層の限界は2万人だとか、最初の頃はアイドルを入れた方がいいとまで言われて。

そういう時は朝まで説得したり、時には本場に連れて行って。クラブに行ったことがある人はいるけれど巨大な海外のフェスティバルの感覚は日本になかったので、みんな頭でわかっていても体感したことがないからどういうシーンなのか分からないんです。ただ、みんな現地に行くと「いままで言っていたことがようやく腑に落ちました」と理解してもらえて、そこからみんなどんどん熱が入って。世界的な動きと連動しているので絶対にこれは広まるんだっていうのをみんなに説得したわけです。その甲斐もあって、初年度の『ULTRA JAPAN』はいきなり4万人を集めることができたんです。

―スタッフはどういった方が関わっているのですか?

『ULTRA JAPAN』に関わっているスタッフは、専門家のチームじゃない。専門家ばかりが集まると、分かっている人たちだけで話が進んでしまう。『ULTRA JAPAN』は、新しい人に新しい体験を提供することをひとつの目標としていて、まだフェスティバルを体験したことがない人に、どうすれば興味をもってもらえるか?ということを常に考えています。

これが既存の専門家だったら「ダンスってこういうものだから」みたいな、作り手側の既存の枠組みで終わってしまう。例えば、開催の場所にしても山奥であれば大音量が出せて朝まで規制もなくできるんだけど、好きな人しか来ない。どうやったら興味がなかった人に来てもらえるかを考えた結果、友達に誘われて行ってみようと思う距離ということでお台場で開催をすることにしました。

―ファッションチームの施策はどういったものがありますか。

小橋:これは草の根運動的な部分なんですが、フェスティバルにおしゃれをして行くと楽しいという、フェスファッションを広めています。世界のフェスティバルではこういう格好して行くという事例を、ファッション誌に見せたり載せたり。みんな『ULTRA JAPAN』に限らずフェスティバルに行く際は、誰と行こう、何を着ようということを考えるのが楽しくてしょうがないんですよ。服を作ったりアクセサリーを買ったり、そういうところを含めて楽しんでいる。

―いままでのクラブシーンは、誰もがダンスフロアの中では平等であるという思想を持ってドレスダウンが美徳とされていたりもしていましたが、逆に着飾って楽しもうとする空間は少なかったですね。既存のフェスティバルでも。


小橋:いままでの夏フェスといったら首にタオルを巻いてみたいな、いかに動きやすくて機能性があるかが重視されていましたが、そうじゃなくて、みんなでとびっきりのおしゃれをしてフォトジェニックな写真を撮って、というシーンをいち早く作ろうとしてファッション誌の人に説明しました。以前の山ガールやサーファーファッションが街中の人たちに降りていったムーブメントのように、最初はフェスティバルのことを考えて買った服なのにストリートでも着るようになってきました。フェスファッションの流行はマイアミでも大きいんですよ。

僕らがどういうファッションを推していくかによって、みんなの流れが変わっていくんです。1年目は「THE EDMガール」みたいなすごい派手でカラフルな髪の毛を編んだり、大きな花の冠(フラワークラウン)を着ける女の子が多かった。2年目の傾向は、ファッションを追いかける人は違いを楽しむので、革ジャンを着たり真逆に行こうとするんですよね。

―なるほど。小橋さんがこれまでに一番衝撃を受けた海外のフェスティバルは何ですか。

小橋:フェスティバルじゃないんですけれど、『バーニングマン(※)』ですね。フェスティバルというより、街作りというか。人間の可能性や惑星規模の可能性を感じられる、一週間だけの奇跡の街「ブラックロックシティ」ができるんです。

※『バーニングマン』=アメリカ ネバダ州リノ市の荒野で仮想の都市を作って1週間にわたって共同生活をする巨大な祭典

ー『バーニングマン』のように、人生観が変わるような体験を『ULTRA JAPAN』でも提供していきたいと。

小橋:僕はイベントや物を作って、誰かを変えようとか答えを教えようというのは、おこがましい、エゴだなと思っていて。それよりも僕らが唯一できることはきっかけ作りでしかない。人によってどういう方向に向かうかわからないけれど、『ULTRA JAPAN』に参加して世界観が変わればと。それは僕らが進めているわけではなく、きっかけ作りの場としてフェスティバルやイベントがあって、僕らは体験メディアを作っているんだと思います。

―今年の『ULTRA JAPAN』のテーマは何ですか。

小橋:去年から3日間の開催に拡大したことによって、良くも悪くもいろいろなジャンルの人たちが来るようになって。初体験の人から去年楽しんだ人まで、それぞれのレイヤーの人たちに対して発見をしてもらいたいし、変化を感じてもらえるようにしています。

改善した部分としては分かりやすく言うと、女性専用エリアを作ったこと。それと、もっとのんびりできる時間の過ごし方が必要なんじゃないかと思い、今年はVIP専用のチルアウトスペースも増やしました。海外のフェスティバルもゴミが汚いんですけれど、日本もゴミ問題は結構あって。ゴミを捨てることが楽しいんだと思わせるようなパフォーマーを用意する試作も練っています。見えないところにまで気を配るような日本らしいホスピタリティの意識を持って、世界の『ULTRA』の中でも日本が一番きれいだと思われる環境を作ってきたい。 

―では、最後に今年一番観てほしいアーティストは。

小橋:難しいですね(笑)。『リオデジャネイロオリンピック』の閉会式にも出たKygoは、今後フェスティバルに出演する機会は減るように思えます。彼は今後、単独公演をするようなアーティストに成長する方向に行きそうですね。彼はトロピカルハウスという流行のジャンルを作った人でもあるし、今が旬だと思うのでこのタイミングで観てほしいですね。





『ULTRA JAPAN 2016』の詳しい情報はこちら

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