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東京を創訳する 第12回『住居ー日本の家はスパだ』

文化人類学者、船曳建夫の古今東京探索

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テキスト:船曳建夫

 

近頃、外国のホテルに泊まっていると、エレベーターの中に一家全員がバスローブに身を包んでいるのに出くわしたりすることがある。それはここ15年くらいの話で、以前はそんなことはなかった。彼ら、素足にスリッパなど履いて、浜辺にいるかのように、みな一様に笑顔である。こちらは狭い空間にただひとり、多勢に無勢で黙って突っ立っているだけだが、何か変な気がする。どこかが逆転している感じがする。

昔、日本のホテルは、「浴衣では廊下を歩かないでください」とか、「ロビーではサングラスはしないでください」とか、日本列島人が文明化するための教育の場だった。ホテルのレストランはネクタイ着用が義務づけられていて、付けてきていない人にはフロントが貸してくれた。しかし、旅館はそんなことしなくてもよかったのである。湯から浴衣で戻ってきて、裸足で宴会場に入り、あぐらをかいて、酒を飲んで、乱れてしまったりするのが、旅館というものだ。そしてそれはたいてい「温泉」旅館なのである。

ニューヨークやパリの高級ホテルで、バスローブで歩き回る男女が現れたのは、どこのホテルもスパ(SPA)というものを売りものにするようになってからだ。それがいまの西洋人にはすこぶる楽しいらしい。ホテルに泊まっている日本人は、外国に来て観光や買い物に忙しいのに、わざわざスパなんかに行ってられるか、と思うのだが、チェックインの時に、ホテル側からスパの50ドルクーポン券を渡されたりして、使うよう勧誘される。何のことはない、いま海外では、高級ホテルが日本化・温泉旅館化している、ということなのだ。そこに私は 「逆転感」を持ったわけだ。西洋人の方はホテルが「日本化」していることに気づいていないけどね。

翻って、そもそも、と、日本の家について考えてみると、元から日本では温泉旅館のみならず、どんな家も全体、はじめからスパなのだ。玄関に入ると、 そこから靴は脱いで、くつろぐ体勢になる。「風呂・飯・寝る」は、無口な亭主ならずとも、日本の家の三要素だ。独身キャリアウーマンだって、外ではばっちりメークにスーツ姿ながら、マンションに帰ると、「疲れたー」とリビ ングに倒れ込んでいる、と想像する。そういえば、50 年以上も前、日本のテレビではアメリカのホームドラマが流行っていて、リビングで団欒とか、テーブルで夕食とか、彼らは外にいるような格好で、靴を履いたまま会話を交わしているのを、われわれ日本人は格好いいなと思って見ていた。それはその頃のわれわ れの質素な暮らしぶりに、やや自信がなかったからだ。本当のところはむしろ変だな、と思うべきだったのだ。あれじゃ家庭にいながら「at home」にくつろげないんじゃないか、と。

わが専門の文化人類学的観点からすれば、家庭というのは、もともとスパであるべきなのだ。理論的に語れば、家庭とは二つの「再生産」の場なのである。まず、次世代、子どもという人間を再生産する生殖の場。その方の話は今回は省いて、第二に、疲れた体に活力を与えてフレッシュな自分を再生産する、休息の場なのだ。そのために、食事をし、排泄し、風呂に入って、寝る。そうやって元気になる、というわけだ。だからフロ、メシ、ネルに特化されている日本の家屋は、人類の必要に対して、実によくできている、ということになる。

そう思ってみていると、最近の洋物の映画、特にファミリーものだと、欧米人が家の中で靴を脱いで、ソファでだらけていたり、フロアに座り込んだり、シャワーのあと、タオルを腰に巻いて歩き回ったり、のシーンが明らかに増えている。ポイントは、どうも「裸足」だ。そういえば以前、エリザベス女王が来日して、京都のお寺で靴を脱ぐかどうかが、日・英外務省間で外交折衝が行われたことがある。靴を脱ぐことはすなわち女王が人前で「裸の一部」をさらすことになり、それは英国の恥となるかも知れなかったからだ。女王が靴を脱ぐのはバスタブとベッドの中だけだそうである。 そのことは、逆に日本の家屋は西洋で言えば、家中がバスタブとベッドルームと言うことだろう。かくして、家の中に入ったら、もう靴も靴下も脱いでしまって、立っていることもなく畳に倒れ込んだり、その畳に布団を敷いて、子どもと一緒に寝転がっても構わない、そうした日本の家屋は、元よりすぐれたスパなのだ。

 

東京を訪れた外国人が、どうやったらそうした日本の家を味わうことができるか。日本の家庭を訪れるのは難しい。日本人は他人を家庭に招かない、とよく言われるが、日本人にとって家庭はスパなんだから、くつろぎの空間、プライベートな空間で、ほかの人は入れたくない。そして、しばしば風呂場の脱衣場のように散らかっているので、よっぽど親しい人でないと恥ずかしくて呼べない。 日本人で外国人を招いたりするのは、かつてのアメリカホームドラマみたいな家で、それは伝統的には「日本の家屋」ではない。

日本の家を味わいたかったら、ちょっと冒険だが、旅館に泊まるしかない。裸足で浴衣で、風呂・飯・寝る、を味わう。私は知らないが、たぶん、すでにそうした趣旨の外国人受け入れ態勢の旅館というのはたくさんありそうだ。くれぐれも日本人に自宅に招かれることを期待しないでほしい。それは日本人に「おもてなし」の気持ちがないからではない。自宅に呼ぶのはよほどの親密さであり、それは西洋人が「今度ベッドに来ない?」と誘うようなもので、最初から 「裸のつきあい」を示唆しているようなものなのだ…といえばちょっとレトリックが過ぎるが、日本の家についての最重要点は分かってもらえるだろう。

船曳建夫(ふなびきたけお)
1948年、東京生まれ。文化人類学者。1972年、東京大学教養学部教養学科卒。1982年、ケンブリッジ大学大学院社会人類学博士課程にて人類学博士号取得。1983年、東京大学教養学部講師、1994年に同教授、1996年には東京大学大学院総合文化研究科教授、2012年に同大学院を定年退官し、名誉教授となる。近著に『旅する知』(海竜社)を2014年8月2日に発売。サンクトペテルブルグ、ニューヨーク、パリ、ソウル、ケンブリッジ、ロンドンを巡り、今、世の中ではどんな変化が起こっているのか。その変化には実は予兆があったのではないか。そしてその先にはどのような未来が待ち受けているのか。著者が文化人類学者として40年近く地球を旅する中で体感した、20世紀と21世紀をまたぐ、世界の文化と歴史を縦断する旅エッセイ。

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