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都築響一の東京観光案内所 其ノ五

新宿2丁目『ニューサザエ』

撮影/山田薫
 

2丁目でいちばん古く、いちばん敷居の低い、有形文化財『ニューサザエ』

いまや「nichome」という言葉が世界語になるほど、国内外で認知されるようになった世界屈指のゲイタウン、新宿2丁目。東西南北数ブロックのエリアに、数百のゲイバーやレズバーがひしめく不夜城である。閉店(開店ではなくて)が昼過ぎ、なんて店がざらにある、歌舞伎町と並んで日本でいちばん「眠らない街」でもある。そしてまた新宿2丁目は、ニューヨークのクリストファー・ストリート、サンフランシスコのカストロ・ストリートなど、世界に数あるゲイタウンのなかでも、きわだって安全に(健全に、ではない)遊べる街でもある。

もともと江戸時代から内藤新宿と呼ばれる宿場町であり、岡場所(色街)であったこのエリアは、戦後は東京屈指の「赤線地帯」として繁栄を謳歌してきた。つまり、その頃の2丁目は「男と男の街」ではなく、「女と男の街」だったのだ。戦後の東京にゲイバーが現れたのは、まず銀座や新橋、それから上野、浅草といった下町エリアが先であり、そのあと今は新宿3丁目と呼ばれる、2丁目から通りを越えた新宿駅側のエリアに数軒のゲイバーが開店。それが2丁目に移っていったのは、1960年代後半からのことだ。その中でも、1966年に開店して、今も変わらず営業を続ける『ニューサザエ』は、おそらく新宿2丁目最古の現役店。いわば2丁目ゲイタウンの誇る有形文化財である。

『ニューサザエ』を「ゲイバー」と呼ぶのは、実は正しくない。僕が初めて『ニューサザエ』にこわごわ足を踏み入れたのは21,2歳の頃だから、70年代後半ということになるが、その頃の『ニューサザエ』は「ゲイ・ディスコ」だった。深夜、急な階段を昇って思いきってそのドアを開けると、薄暗い……ではなく、すごく暗い空間に、当時としては最先端のダンス・ミュージックが大音量でかかっていて、その中でたくさんの男たちと、少数の女たちが身をくねらせていた。

「いいえ、今だって『うちはディスコよ!』って僕は言ってますよ」と教えてくれたのは、『ニューサザエ』のマスター、紫苑(しおん)さん。今の店の近くに『サザエ』という名前で1966年にオープンした店が、12年ほど経って現在の場所に移動。『ニューサザエ』という名前に変わってから、前のマスターに替わって店を切り盛りするようになった。だから、もう35年間も、毎晩この店でお客さんをさばいたり、一緒に騒いだり、ケンカを諌めたりして過ごしてきたわけだ。すごい……。

お祖父さんがフランス人の船乗り、というからクオーターになる紫苑さんは、長崎県出身。小さい頃に両親を亡くし、施設を転々とする苦労を味わった後、お祖父さんのいるフランス・リヨンに引き取られて4年間ほど暮らし、中学生の頃に長崎へ戻ってきた。

エキゾチックな顔立ちが魅力的な紫苑さんは、中学生の頃からファッションモデルとして地元で活躍し、さらにラジオ局でパーソナリティをつとめるなど、10代にして長崎のスター的存在だったという。

週末にはきらびやかなコスチュームに身を包み、にこやかに店に立つ

 

高校卒業後は「親兄弟がない自分が、日本で生きていくためには学歴が必要」と考えて上京。上智大学に合格して通うようになるが、同時に役者修行と音楽活動にも熱中する。寝る間もないくらいに飛び回っているうちに、友だちに連れられて足を踏み入れたのが2丁目の『サザエ』だった。そうして最初は単なる客として通っていたのが、オーナーやスタッフたちに可愛がられているうちに、「ちょっとお手伝い、お願い!」となって、いつのまにか店を任されるようになっていた。

僕が通い出した70年代当時の2丁目には『ニューサザエ』の他にも『MAKO』(今も『ニューサザエ』の上階で普通のバーとして営業中)、『BLACK BOX』など、今なら「小箱クラブ」と呼ばれるだろう深夜ディスコがいくつもあって、歌舞伎町のディスコでは踊り足りない若者たち、仕事を終えたマスコミやファッション関係者、店を終えて流れてきた銀座や六本木の水商売人たちで賑わっていた。

なかでも『ニューサザエ』は、いわゆる「外専」=外国人が好きな日本人の男の子と、日本人が好きな外国人が集まる店、という印象が強かった。それが年月とともに客層も変わっていって、紫苑さんによれば「その頃はお客さんの90%がゲイだったけど、いまは20~30%ね」と言われてびっくり。かわりにこのところぐっと増えているのが、ノンケ(ストレート)だけど女装好きという「女装子(じょそこ)」さんたち。「うちはなんでもオッケーよ、って言ってるから、ここだったら安心して遊べるんじゃないかな」と言う通り、週末ともなればとんでもない格好の女装子さんたちが、めちゃくちゃ楽しそうに踊ったり、おしゃべりに熱中したり。

平日でも朝5時まで、週末は朝7時まで、しかも年中無休で(!)店をやって、「あっという間でした」という紫苑さんの35年間。「店さえ開けておけば、昔のお客さんにも会えるし。だからここは仕事場っていうより、ここがあるからみんなに会えたんだし、今も会える場所ですよね」という。

週末ともなれば、ひっきりなしに入るドリンクオーダーをさばきながら、カウンターとフロア双方のお客に目を配る

 

店の内装も70年代の頃からほとんど変わっていないし、普段かける音楽も「いまだに70~80年代のソウル、ディスコが中心」という、涙の選曲。特に混む週末はヘルプがいるけれど、平日は今では紫苑さんがひとりでカウンターに入り、お酒をつくったり、CDをかけたり、常連さんのお相手をしたり……。「だからね、歳とか病気とか気にしてるヒマないの!」と笑っていたけれど、もし『ニューサザエ』が終わってしまったら、2丁目は、そして東京はまたひとつ、かけがえのない歴史的な場所を失うことになる。

ゲイ、ストレート、女装子、外国人、レズビアン、誰もが楽しく踊る週末

 

ゲイでもノンケでもOK。若くても、年取っててもOK。変態さんでも、変態じゃなくてもOK。値段だって、最初が1ドリンク1,000円で、あとはドリンクもフードもぜんぶ700円という超安心価格設定。2丁目でいちばん古い歴史を誇るのに、たぶん2丁目でいちばん敷居の低い店。そういう奇跡のような空間に、いちども足を踏み入れたことがないのであれば、それは君はまだ2丁目のことを何も知らないってことだ。

ボックス席を飾るバナナの木(左)週末はニューサザエを愛するDJたちがディスコからマドンナ、韓流までをプレイ

懐かしのテーブルゲーム機(左)仲通りを一本入ったら、この看板が目印だ(右)


ニューサザエの詳細はこちら

テキスト 都築響一
撮影 山田薫

 

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