インタビュー:布袋寅泰

ロンドンでクリエイティブの原点へ。謙虚なギター道が導いた世界デビュー

テキスト:
Kunihiro Miki
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インタビュー:三木邦洋

今年で53歳になるギタリスト布袋寅泰は、日本での盤石なポジションを捨て、家族を連れて3年前にロンドンに移住した。海外で人気の「サムライミュージシャン」はほかにも少なからず存在するが、布袋のようにキャリアの成熟期を迎えてから海外に挑むケースは稀だ。彼は2015年の春にスパインファーム レコードと契約し、今回ついに完成した世界デビュー作『Strangers』を、2015年10月にアメリカ、ヨーロッパ、日本でリリースする。イギー・ポップをはじめ、シェイ・シーガー、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインのマット・タックやラムシュタイン/エミグレイトのリヒャルトらをゲストに迎えた同作は、「切り開く」ことに注力した内容というよりは、布袋が青春時代に養ったブリティッシュロックの血と、この3年間のロンドン生活で養われた新たな人生のスタイルが見事に結実した一作となっている。

「このギターソロ長い」とか「イントロのギターいらない」とか(笑)

ー今回の帰国は2014年のジャパンツアー以来ですか。

そうですね。というのもイギリス、そしてヨーロッパから先行発売のワールドワイドアルバム『Strangers』を完成させることが第一の目標でした。作るだけじゃなくて、作品を伝えていくためのプロセスやチームワーク作りに集中するため今年は日本にほとんど帰らず。こんなに長く日本を留守にしたのは初めてですね。日本のオフィスでじっと待っていてくれたスタッフたちも不安だったと思うけど、今回のリリースが決まってようやく「ここまで来たか!」と一同ホッとしています。しかしこれはゴールではなく、あくまでスタートですが。

ー久々の日本で、ロンドン生活とのギャップを感じますか。

湿気がすごいね(笑)。30年以上東京にいたから東京が当たり前になっていたけど、ひとことで言えばこんなに便利なところはないですよね。それに比べればロンドンは、スーパーもバーも夜11時には閉まっちゃうし、Wi-Fiも遅いし不便といえば不便ですよね。日本では当たり前のことが、向こうでは当たり前ではない。

制作面でも日本ではスタッフがいつも用意周到な状態で待機してくれていて、僕はスタジオに入れば演奏するだけだったけど、向こうではすべて1人でやらなくてはいけない。

それが初めは大変だったし、もどかしい部分もあったけれど「自分でギター担いでどこに行くのも1人だけ」という生活が当たり前になってくると、不思議なもので、今度はこっちに帰ってくると便利すぎて逆にイライラしたり(笑)。ロンドンに移ってのこの3年間っていうのは、このアルバムに辿り着くまでに色々打たれた部分もあるけれど、実体験として色々なことを学び感じられたことがとても貴重な3年間だったと思う。

ー食生活は変わりましたか。

早くロンドンに戻って向こうのサンドイッチを食べたいよ(笑)。 

ー日本食が恋しくなったりは?

まあ、美味しいうなぎとかスッポンとか、向こうにないものは食べたくなりますけどね。けど、僕、焼き肉が好きだったけれど、向こうのステーキに慣れてきてしまったらステーキの方が好きになったかな。20~30年前だったら、イギリスは食がまずい、って印象が結構あったけどね。食をカラフルに彩ったり、エンターテイメントする感覚はなかった。それがカリスマシェフのジェイミー・オリヴァーの出現から、学校の給食まで美味しくなったと言われています。英国料理だけではなくインド、スパニッシュ、チャイニーズ、日本食と各国の本格的な料理が選べますからね。楽しいですよ。

ーBOØWYの頃に行かれた時とは違いましたか。 

あの頃は確かに、料理のすべてが茶色かった(笑)。たまに黄色いマスタードがある程度で。オーガニックの文化が根付いたのが大きいのではないかな?野菜も形は悪くても豊富な種類が並んでいますし、町並みにしても、とっても生き生きしている。ロンドンの特徴っていうのは、古いものと新しいものが共存しているところだけど、最近はどんどんモダンになっていますよ。

ーご家族で移住されても、特に問題はないと。

気候的にも、昔は太陽が出ている日が少なかったイメージがあるんだけど、今は毎日燦々としていて、湿気もなくてカラッとしていて夏がとっても気持ち良い。冬も比較的過ごしやすいし、イギリスは今最も快適に暮らせる場所のひとつなんじゃないかな(笑)。雨が多いという印象もありますけど、それでも一年の雨量は日本の半分くらいらしいですよ。

ーそれでは今年はことさら、日本の夏が辛く感じたのではないですか。

室内と外気の差がね。スタジオやタクシーもここまで冷やさなくていいんじゃない?って。ロンドンの家にはクーラーはないですし、そういう意味では生活全体が自然とともにある感じがしますね。不便なところもあるけれど「元々そういうもんだった」と最近は割り切って諦めています。

ー今回の新作『Strangers』ですが、これは国内で2014年に発売された前作『New Beginnings』をベースに新曲も多く収録された内容ということですが。

というよりは、『New Beginnings』はワールドリリースに向けた途中の作品のようなもので、3年前にロンドンに意気込んで移ったときに、さて自分は何を武器にして世界に挑んでいくかと考えた。初めは、日本人ならではの音楽を武器にするべきだと考えたんだ。ちょっとキッチュで未来感のある音楽とか、日本独特の音楽のあり方ってきっとあると思っていたし。しかし、音楽作りはもちろん大事だけど、それをいかに伝えるかということもとても大事。ロンドンの人々がどんなチームワークで音楽を作り、伝えていくのかを肌で実際に感じるには、まず自分をローカライズして現地のミュージシャンやプロデューサーとともに音楽を作るのが一番良いだろうと。



昨年日本でリリースされた『New Beginnings』という作品は、初めてプロデュースを英国のプロデューサーに委ねて、僕はまな板の鯉となることで、きっと自分では探せない、海外にアプローチするために必要な僕の魅力や方法がきっと見つかるという発想から作ったアルバム。これはジャパンオンリーのリリースだったんだけど、これができあがったとき、あちらのスタッフは「これでは物足りない」と。もっとワールドワイド向けにローカライズし、オーディエンスに響くものを足していくべきだと。しかし今回の『Strangers』は『New Beginnings』に足したり引いたりしたアルバムというよりも、ほとんど新しいアルバムを作っているという感覚でしたね。

ずっと向こうの連中とやっているうちに気づかされることも多いしね。

例えば、ギタリストとして一番強烈なのは「このギターソロ長い」とか、「イントロのギターいらない」とか(笑)。バサバサ切られるわけよ。日本では長いキャリアから制作スタッフ全員僕のことを信頼しまかせてくれる。きっと周りの人も「ソロが長い」とは言いづらいだろうしね(笑)。お山の大将になっていたとは思わないけど、どこか自分の良い部分も悪い部分も見落としがちになっていたかもしれない。そういった意味では、向こうのやり方に身を委ねた潔さっていうのは本当に良かったと思いますね。 

ーゲストボーカルを迎えたものも、インストのものも両方の新曲がありあますね。

ギターを弾きながら英語の歌で勝負するのは無理だと思った。語学力が至らぬなかで自分の気持ちや思想を表現をしていくには相当な時間が必要だろうし、向こうは歌に限らず、テクニックを超えた音楽力がありますよね。悔しいかな、日本のミュージシャンよりも力がある。そんな中で、英語の歌という自分の拙い部分で勝負するより、自信のあるギターで勝負したい。しかし、僕はいわゆる技巧派のテクニックで唸らせるタイプのギタリストではないし、ギターのインストゥルメンタルでは、シネマティックで映像の見えてくるような音楽を目指している。



映画『キル・ビル』のテーマソングに起用された『Battle Without Honor or Humanity』や、『Strangers』に入っているインストゥルメンタルは、どの曲も聴く人に物語を連想させる音楽だと思う。しかし、より多くの人にアピールしていくときに、やっぱり歌が入っているものは必要だし、僕も好きだしね。逆に言うと、ギタリストに戻ったことで、コラボレーションするチャンスを新たに得たと思う。そんな中で、この曲は誰に頼もうと考えて、例えばイギー・ポップなんかは、ダメ元でオファーした潔さが彼に伝わったのかもしれない。ボーカリストの横でギターを弾く時の自分はまた違いますから、コラボレーションのおかげで、作家的な部分と、パフォーマーとしての魅力の両方を出せたんじゃないかな。

ーブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインのマット・タックや、ラムシュタイン/エミグレイトのリヒャルトらを迎えることになった経緯は? 

きっかけはレーベルのプロデューサーからの紹介です。僕の所属するスパインファームレコードは、かなりヘヴィーなジャンルを扱うレーベルで、僕のカラーとはちょっと違うんだけど、ただギターサウンドをメインとしたバンドが多いということでは、ポップなレーベルからヒットチャートを狙うよりは、僕に近いのかもしれない。とにかく彼らが一緒にやりたいと言ってくれたのはすごく大きなことで、レーベルのカラー云々よりもチームが目の前にいるっていうのは大きなことだし、彼らの得意な部分や彼らの意見を僕なりに解釈していけばいいと思った。

僕はラムシュタインをそれほど熱心に聴いていたわけではないけれど、かなりドギツい音楽集団だということは知っていました(笑)。リヒャルトとはモダンなギターミュージックにアプローチしたいということで感覚は一致していたので、スカイプミーティングとデータのやり取りでスムースに進行しました。彼はすごく紳士的でクレバーで気持ちのいい人。なによりお互いギタリストということで作業は早かったです。以前と比べ今は世界が近いというか、データやスカイプなどで、コラボレーション作業は格段とやりやすくなりましたよね。

ーずっとバンドサウンドや、スタジオセッションでやってこられて、生の経験が豊富な場合、そうしたデータのやりとりで作り上げていくことに対して、クオリティの面で不満な点が出てこないですか。

いや、僕はソロの1作目『Guitarhythm』からテクノロジーや、新しい形のギターミュージックに対してはかなり貪欲だったので、そういう抵抗はないです。けれど、逆にここまでテクノロジーが当たり前になってくると、当たり前のものとして使ってはいけないという気もします。コミュニケーション、人と人との繋がりはどんな時も大切にしたい。イギーの2曲は、マイアミまで歌をレコーディングしに行きました。マット・タックともスタジオでお互いギターを片手に向き合ってセッションしましたね。

 

日常の中に音楽が帰ってきた

ー今回のアルバムでも共演していて、最近の布袋さんのライブメンバーでもあるApollo 440のNokoについてですが、彼らが出てきた当時のイギリスのいわゆるデジタルロックやビッグビートと呼ばれたような音楽は熱心に聴かれていたんでしょうか。

好きでしたね。エレクトリックダンスミュージックだったらジーザス・ジョーンズやジグ・ジグ・スパトニックとかね。もともと14歳にグラムロックにハマってからは、洋楽中心で、気付けばUKの風変わりでアートでファッショナブルで、少しアヴァンギャルドでグラマラスなロックンロールがずっと好きだったから。Noko(Apollo 440)は、僕とまったく同じ生年月日なんです。音楽的バックグラウンドもまったく一緒の、ギタリスト同士。イギリスにおける僕の分身というか、僕がやりたいことをNokoは感覚的に分かってくれている。今はバンドでベースを弾いてくれています。彼がそばにいるっていうのはすごく大きいですね。イギーをゲストに迎えたのも実はNokoからのアイデアなんですよ。

ーアンディギルとも対談されていましたが、布袋さんにとって、Gang of fourは人生を変えた特別な音楽だと。彼らの音楽が何十年経っても新しく、鋭く、緊張感に満ちているのはなぜだと思いますか。そうしたイギリスのロックバンドの不思議な魅力はどこにあるんでしょうか。

Gang of Fourで僕が1曲ゲストで参加したライブの前座は、LoneLadyっていう女性ボーカルのバンドだったんだけど、彼女のギターもGang of Fourほかポストパンクの血を引いていると感じた。ロンドンの人たちは楽器へのアプローチが皆プリミティブですよね。あまり音を加工せず、ギターが鳴る瞬間でリズムを構築することが多いよね。ワンコードでずっと、ディストーションもかけない乾いた音でリフを刻んでるみたいな。

そういうバンドってとてもイギリスらしいなと思うし、逆に言うと、プロセスした音楽をすごく嫌いますよね。すごく無骨な音楽が好まれる。そしてやっぱり踊れる音楽。



Gang of Fourにしろローリング・ストーンズにしろ、14歳の僕が想像もしなかったようなコラボレーションができたのも、自分がギタリストだったからだろうなと思うんですよ。ボーカリストではデュエットになってしまうでしょ?ギタリストだからこそセッションができる。ギタリストで良かったなと思いますよ。

ーこれだけ長いキャリアでずっと最前線でやられてきたのも、ギタリストだったからであると。

うん。それに、年齢は関係ないとは思うけど、50歳にしてもう一度チャレンジしたいなと思えたのもギタリストだから。年もとるし、時代も変わるけど、でもその中でなにも変わらないと思うのは自分のこの腕でギターを鳴らしているこの気持ち。ギタリストなのに日本にいるときはギターテックに任せきりで、ずいぶん長い間自分で弦を張り替えたりしなかったんだけど、ロンドンでは自分でやるのが当たり前。最近はずいぶん弦の交換も早くなりましたよ!道具にも詳しくなって、日本のスタッフに「電動弦巻き知ってる?なかなか良いよ」とか言ってね(笑)。

ーすごいですね(笑)。ではロンドンに移られて、楽器的な面でも音楽的な面でも布袋さんのルーツに一度原点回帰があって、ということなんですね。

そうですね。苦労自慢するつもりはないけど、ここで一度リセットしないと、気付かないままそのまま東京で音楽を作っていただろうなと思うんですよね。でもリセットすることって難しいから。だけどこうしてまたギターを弾くことが楽しくなったし、今こういう悔しいこともあるけど、「よし、やるぞ!」っていう、バンドでデビューしたときの気持ちに近いっていうか。クラブで100人を熱狂させるためのライブをこれからやっていくわけだし。そういうことは、自分を奮い立たせてくれるし、そういう所に自分を追い込んだのは本当に良かったなと。

ーなるほど。邦楽と洋楽の関係に関してちょっとお聞きしたいののですが、最近、日本では特に若い世代で、洋楽離れが起こっていると言われているんです。確かに、日本の文化やコンテンツは量的に充実していますし、音楽に限らずアメリカやイギリスの文化に憧れたり影響されたりということが少なくなってきている側面はあります。日本人が欧米の文化を積極的に咀嚼してアウトプットするという昔ながらのプロセスはこれからも重要であると考えますか。

何を聴くかは自由ですけどね。けど、世界は広いですから。日本は面白いものも美味しいものもエンターテイメントもたくさんある。わざわざ外に出なくても充分楽しいし、満たされている。それは良いことでもあるけど、世界は日本だけじゃないっていうか。

海外での活動を「世界のホテイ」と紹介されることもあるけど、なんだか嬉しいようなくすぐったいような、それでいて半分悲しい気持ちになる。日本と世界って、線引きされて分かれているのか?という意味で。日本も世界の中にあると考えるべきですよね。日本人はもっと意識を外に向かせたほうが良いと思う。でもだんだんそういう風になってきているんじゃないかな?オリンピックも予定され、外国人が日本に訪れる機会も増えてきているし。危惧するほど若者は内向的ではないと思う。日本の音楽家たちももっと外に出て行くべきです。中にいたらずっと同じ表現になっちゃう。



向こうは作品の売り方も全然違って、日本みたいに発売日がゴールじゃなくて、発売から1年も2年もかけて作品を世界のマーケットに売っていこうかということを考えるんですね。リリース後の各マーケットの反応に合わせ、その作品を育てて大きくしていく。マーケットが広いといつどこで火がついてどうなるか予測できないから。日本のやり方に慣れていると、その違いにイライラする部分もあったりしたけど、そうやって彼らはオーディエンスを探して音楽を育てていくんだな、と。素晴らしいと思うし、大きな気づきとなりました。

ーその音楽の売り方、聴かれ方についての話なんですが、布袋さんはロンドンではSpotifyを使ってらしたそうですが、日本でも今年から『Apple Music』やavexの『AWA』、『Line music』などがスタートしました。こうしたサービスのメリット、デメリットについてはどのようにお考えですか。

そうですね。僕はSpotifyはヘッドホンでは聴かないな。どっちかというとキッチンとかかな。日常の中に音楽が帰ってきたっていうか。逆にいうとCDやアナログみたいに「よし聴くぞ」という時間がなくなってきたんでしょうね。そういう中でSpotifyはジュークボックスみたいにヒットチャートをチェックできるし、懐かしいディスコサウンドも聴けるし、ツールとして現代的だと思いますよね。



まあ、テイラー・スウィフトじゃないですけど、難しいですよね、アーティストとしてどう捉えるかっていうのは。1人でも多くの人に自分の音楽を聴いてほしいというスタート地点にいる僕にとってはすべてのツールは重要だし。ロンドンにいるとすべての音楽がダンスミュージックに聞こえる。音楽が流れたら身体で楽しむ人が多いね。ロックもポップスもアーバンなジャズも、みんなノリノリだしね。



日本では音楽を自分の好きなものにリミットしているように感じる。ドームを満員にするアーティストは何組もいても、幅広い音楽を楽しむ音楽ファンは減ってきているように思える。自分が好きなアーティストは聴くけどほかの音楽にはあまり興味がないみたいな。そういう意味では、Spotifyなどの新ツールで音楽が日常に戻ってきたことで、若い人たちはより多くの音楽と巡り会えるかもね。

ー音楽に触れる機会は増えるはずですね。

僕なんかはアナログ世代ですから、音楽はすべて宝物。ルー・リードの『メタルマシーンミュージック』なんていう、難解を超えた「なんだこりゃ」っていうアルバムも、買ったからには宝物(笑)。どんな難解で奇妙な音楽にも音に耳を傾けその世界に没頭し、色々探した。今のように自分に必要な情報だけ受け入れて、不要なものは消去するっていう感覚はなかったですからね。歯医者に行くふりをしたり、修学旅行に行ったふりしたり(笑)……コツコツお小遣いを貯めて買ったものは違うよね。配信サービスも便利なんだけど、宝物感に欠けるよね。

ーなるほど……。それでは最後に、今後の目標を伺ってもいいですか。

とにかくこうして新たなるスタート地点に立てたことを、純粋に誇らしく思ってます。と同時に、これから苦難が待ち構えていることも知っています。その苦しみすらも楽しみたい。何故なら誰かにやれと言われて選んだ挑戦ではなく、自分で選んだ道ですからね。そしてこれを自分だけの経験として閉ざさず、これから世界に向けて挑戦する日本のアーティストに向けて「世界は広いよ。悔しい思いからすべてははじまるよ」というメッセージを伝えていきたいと思う。

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