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  • 3 5 つ星中
  • 映画
  • ホラー映画

ホラー映画『ゲット・アウト』は、映画『ゼイリブ』などで知られる、監督ジョン・カーペンターが 思わずほくそ笑んでしまいそうな魅力ある作品だ。観客に死の恐怖を与えるのではなく、実社会で埋もれつつある人種間の緊張を戯画化したユニークなストーリーが展開する。人によっては、少し期待はずれだと感じるかもしれない。 劇中では、黒人にとって白人のガールフレンドの両親に会うことは、躊躇(ちゅうちょ)してしまう部分がある、ということに少し執着している。 若いカメラマンのクリス(ダニエル・カルーヤ)は間違いなくローズ(アリソン・ウィリアムズ)を愛しているが、それでも人里離れた彼女の両親の屋敷への訪問は彼を不安にさせる。往路の途中で起こった、突然飛び出してきた鹿との衝突事故もクリスのささくれだった神経を逆撫でし、シカが死に際に彼を見つめる視線はあたかも警告を与えているかのようであった。 クライマックスに至るまでの展開は、観客にいつまでも観ていたいと思わせるほど切れ味が良い。不自然なほどに愛想の良い2人の大人(キャサリン・キーナー、ブラッドリー・ウィットフォード)の登場や、セリフの言い回しを通して、リベラルな白人の特権を滑稽に描き出している。その一方で、黒人使用人への、ローズの両親の寛大さと、クリス自身の独立心の葛藤を繊細に描き出している。 脚本と監督を務めたのは、コメディ・セントラルチャンネルのエッセンスが詰まっていた番組『キー&ピール』のジョーダン・ピールだ。彼の野心的なデビュー作品に拍手喝采したいところだが、彼が培ってきた技術は映画では失われている。『キー&ピール』全盛期の作品の多くは『シャイニング』などのパロディ作品に見られるように、そのものがミニチュアの悪夢のようだった。一方『ゲット・アウト』ではストーリー上の秘密の明かし方がやや大雑把で、観客はいつもならばピールが巧妙に用意する、壮大な自己負罪的なコメンタリーを待ちぼうけることになる。完璧なピール作品の完成は次回作に期待したい。 原文: JOSHUA ROTHKOPF2017年10月27日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国公開公式サイトはこちら

  • 4 5 つ星中
  • 映画
  • アクション&冒険

ジョージ・ミラーが監督した映画『マッドマックス』シリーズ第4作は終末の世界を描いたパンクな物語であり、茶会に襲いかかる竜巻のような仕上がりだ。重みの感じられない映画が溢れる時代の中、今作は、1億5,000万ドルの制作費をナミブ砂漠まで持ち逃げし、身代金をかけられた人体が切断されてハリウッドに送りつけられてきたかのようだ。 メル・ギブソン演じるマックス・ロカタンスキーが『マッドマックス/サンダードーム』で地平線の彼方に走り去ってから30年が経つが、「ロード・ウォリアー」は1日たりとも年をとっていないようだ。ギブソンのマックスは不本意ながらカリスマになっていく人物だったが、今作ではトム・ハーディが生き生きと演じている。そして、マックスが放浪する荒れ地にも多くの変化が見られる。前作までは荒廃した瓦礫の世界が舞台だったが、今回の過度なまでに飽和したカラフルな世界は、旧文明のたそがれというよりも新たな文明の幕開けに近い設定となっている。 物語は、住民を燃料のように消費する社会を牛耳る生まれながらの怪物、イモータン・ジョー(ヒュー・キース=バーン)が支配する山あいの要塞から始まる。女性は母乳を搾り取られ、少女たちは子作りのために囲われ、マックスのような男たちは「ブラッドバッグ」と呼ばれて車の飾りにされている。当然のことながら、ジョーを補佐している片腕の将軍フュリオサ(シャーリーズ・セロン)は変革を望んでいた。彼女は囚われていた女性たちを解放して車で逃走するが、その後をイモータン・ジョー率いる命知らずの軍団に追われることとなる。そして、映画全編で狂気の死のレースが繰り広げられる。

 テリー・ギリアムの身を切るような映像宇宙と、ジェームズ・キャメロンの爆発的な壮麗さを合体させたミラーは、爽快感の連続するアクションを作り上げた。しかし、このねじれたメタル交響曲の鍵となっているのは、暴力が狂気の一種であることを忘れていない点である。ミラーの世界では人間の最も本能的な姿がさらけ出されており、抑圧される女性の姿は繰り返し語られてきたモチーフでもある。そして、セロン(フュリオサ)にハンドルを握らせることで、男臭いこのヒットシリーズを見事に新たな方向へと導いた。男が自分たち自身からの救いを求める時代に、女性による支配の必要性について神話的な描写をしているのだ。

それがマックスが不滅のヒーローとなっている理由でもある。彼は、沈む太陽に向かって走り去るべきタイミングを知っている。多くのヒット映画が彼の巻き上げた埃にむせることになるだろう。

  • 5 5 つ星中
  • 映画
  • お笑い・漫才

映画『フランシス・ハ』『20センチュリー・ウーマン』などで知られる女優のグレタ・ガーウィグが監督と脚本を務めた本作は、女同士の絆に敏感な女子の青春時代を描いた私的な物語だ。魅力的なまでに自由な若きリズムで羽ばたいている。ガーウィグが監督を務めるのは2作目だが、彼女にはカメラの裏側でさらに活躍してほしいと思わせる作品である。さらに、女優のシアーシャ・ローナンの魅惑的な演技によって高められ、高校生活最後の年という刺激的で混乱した時期の物語を巧みに描いている。主人公は、カトリック系の女子高で最終学年を過ごす、反抗的で頑固なクリスティン・“レディ・バード”・マクファーソン(ローナンが型破りで無秩序なキャラクターに徹している)だ。時代は2002年。9.11同時多発テロ事件が起こったばかりで、イラク戦争の緊張が高まり、携帯電話がスマートフォンに進化して10代の生活がより一層複雑になる前の頃である。レディ・バードは、頑固な母親マリオン(ローリー・メトカーフ)と口論し、気立ての良い親友ジュリー(ビーニー・フェルドスタイン)と怠けて過ごし、閉塞感のある故郷サクラメントから離れたリベラルな東海岸の大学に進学することを夢見る日々を送っていた。そんな彼女の計画は、とくに父親のラリー(トレイシー・レッツ)が失業した後には、中流階級の家族が抱える経済的な問題とは無関係のように描かれる。本作は、女性の成長を痛快に描く映画として、映画『ミニー・ゲッツの秘密』と『スウィート17モンスター』の仲間入りを果たしている。不格好なガラケーや、バラード『クライ・ミー・ア・リヴァー』の組み合わせ程度のわずかなノスタルジアで、近年という時代を表現していた。思慮深く、寛容で、脇役に呼吸して成長する余地を与える貴重な合唱曲のような本作では、恋愛対象の2人(ルーカス・ヘッジズとティモシー・シャラメ)と、楽観的な修道女(ベテラン女優のロイス・スミス)の好演も光る。母親と娘、忘れることはない少女時代を過ごした故郷にささげる愛のオードのような作品だ。原文:TOMRIS LAFFLY翻訳:小山瑠美2018年6月1日全国公開公式サイト

  • 4 5 つ星中
  • 映画
  • お笑い・漫才

若き監督デイミアン・チャゼルが、アカデミー賞を受賞した映画『セッション』に続き、『ラ・ラ・ランド』を完成させた。本作は、ロマンチックかつスタイリッシュで、果てしなく独創的な最高傑作だ。大人向けのミュージカル映画とも言える本作は大袈裟に描かれておらず、それどころか、ジャック・ドゥミ監督による映画『シェルブールの雨傘』やスタンリー・ドーネン監督による映画『雨に唄えば』にも通じるような作品が、ロサンゼルスに広がる半分夢のような世界で描かれており、ロマンチックな愛の浮き沈みをいかにもハリウッドらしい陽気な寓話として凝縮させている。恋に落ちる主人公たちを演じるのは、人気俳優の2人。ライアン・ゴズリングはジャズ純粋主義者の売れないピアニストで自分の店を持つことを夢見るセブ、エマ・ストーンは映画スタジオのカフェで働きながら女優を目指す快活なミアを演じる。冬から秋、そしてまた次の冬を迎えるまでの物語が描かれており、その間に2人は出会い、口論し、戯れ合い、恋に落ち、それぞれの情熱と恋愛の間に生じる葛藤と向き合うことになる。本作で描かれるロサンゼルスの風景は、ジャック・ドゥミ監督と画家エドワード・ホッパーの融合だと表現できるかもしれない。すべてが淡い色調で描かれ、柔らかな光や薄明かり、街灯が映し出される。セットで再現されているが、時代を越えて1950年代の雰囲気がどことなく漂う。まるでミュージカルの黄金期が、独自のタイミングで訪れているようだ。夢心地でありながら横目で劇中劇のように見つめる視点がもたらされており、デヴィッド・リンチ監督が手がけた映画『マルホランド・ドライブ』、あるいはテレンス・マリック監督が手がけた映画『聖杯たちの騎士』のような歪んだ作品に少々通じる。しかし本作は、もっとずっと楽しくて寛大な作品だ。芸術にかける情熱と陶酔するような恋愛は共存が可能であるように描かれ、歌やダンスへの転換が大真面目かつ楽しく描かれている。 公式サイトはこちら 2017年2月24日(金)より全国公開テキスト:DAVE CALHOUN翻訳:小山瑠美© GAGA Corporation. All Rights Reserved.

LOVE【3D】
  • 3 5 つ星中
  • 映画
  • ドラマ

映画『アレックス』、『エンター・ザ・ボイド』などを手がけたギャスパー・ノエ監督が、3Dでセックスを映し出す映画『LOVE【3D】』を完成させた。あらゆる性描写に溢れる、エロティックな作品だ。卑猥な台詞、隣人との関係を描くストーリーなど、ポルノ映画が持つ欠点も多く見られる。ギャスパー・ノエ監督は、露骨な挿入までは描くことを避けているが、出演者たちが実際に激しいセックスをしていないとは想像しがたい。最終的に感じたのは、愛とは浅ましいというよりも愚かなものであり、蜜月の後には少々感傷的になるものだということだ。多くのティーンエイジャーには好まれるが、たいていの大人を呆然とさせる作品だろう。 冒頭のシーンで、パリで映画を学ぶアメリカ人の青年マーフィー(カール・グルスマン)に、恋人のエレクトラ(無名の新人アオミ・ムヨック)が手淫する場面が描かれる。その後、2人は破局を迎え、現在は太って口ひげをたくわえたマーフィーは、かつて隣人だったオミ(クララ・クリスティン)と小さな子どもと一緒に暮らしており、あまり幸せそうではないことが分かる。映画『アレックス』と同様に、過去を振り返る形式を取りながら、ドラッグ、裏切り、そして数々のセックスを経験した後に、マーフィーとエレクトラの関係は終焉を迎えたことが明かされる。本作はより頻繁に時間を飛び越え、まるで映画『ブルーバレンタイン』がパリに舞台を移し、より卑猥かつ攻撃的に描かれ、暗めの映像と過激な性描写、そして製作費をかけた3Dでの撮影を加えられているようだ。 決してギャスパー・ノエ監督を空虚なエンターテイナーとして片付けることはできない。身勝手で不穏な下降をたどる夜の雰囲気を漂わせた作品を作り上げる術を知っている稀少な監督だ。また、人間が持つ自らの運命を台無しにする自滅の力に対して敏感でもある。本作には、セックス抜きで強い印象を残すシーンも存在する。特に、マーフィーとエレクトラが歩き、会話を交わす流れで映し出される2ヶ所の長いシーン。最初は彼らのロマンスの始まりに、そして次は彼らの関係の終わりに描かれている。 しかし、監督自身がウィッグをつけてエレクトラの年上の元恋人として出演するふざけたシーンを描いたことで、あらゆる真剣な意図を台無しにしてしまったのは致命的だ。また、目に余るほどの自伝的要素が含まれており、それは観客の注意を散漫にさせ、監督の自己愛を感じさせる。大胆不敵な良作になる可能性が見えたが、所々で衝撃を与える必要性を追求したことで、その可能性が消えてしまった。 公式サイトはこちら 2016年4月1日(金)新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー © 2015 LES CINEMAS DE LA ZONE . RECTANGLE PRODUCTIONS . WILD BUNCH . RT FEATURES . SCOPE PICTURES . テキスト: DAVE CALHOUN 翻訳:小山瑠美

ウィッチ
  • 5 5 つ星中
  • 映画
  • ホラー映画

映画『ウィッチ』は、アメリカ人監督ロバート・エガース(Robert Eggers)が難解な分野に臆することなく挑戦し作り上げた、刺激的かつ不気味な長編デビュー作だ。清教徒に伝わる残酷な民話をベースにしており、セリフの大半は17世紀の書物からそのまま引用されている。本作は、大胆に観客の不安を煽る、近年まれに見る実に不気味なホラー映画だ。物語の舞台は1930年のニューイングランド。敬けんな清教徒の一家がイギリスからニューイングランドへ移り住んでいたが、宗教上の信念の違いに対する処罰としてその地を追われることになる。その結果、邪悪な森のそばに広がる荒れ地での生活が始まることに。新天地ですでに除け者にされていた木こりのウィリアム(ラルフ・アイネソン)だが、妻(ケイト・ディッキー)と5人の子どもたちと、新たな人生を始めるために厳しい自然や荒れ地と闘いながら孤軍奮闘する。しかし、子どもたちが生活に慣れて神とのつながりを再び得る前に、乳児が超自然的な速さで森のなかに連れ去られてしまうのであった。大半の映画では、そこから観客との控えめな戯れが始まり、フィナーレまで恐怖と不協和音に満ちた音楽を背景に怪物が現れるだろう。本作では、急に恐怖が襲いかかるようなシーンはほとんど存在しない。スイス製時計のように精巧に計算され、観客を引き付けることと疲労させることは大きな相違があると理解している。作中で絵画的に描かれる魔女がしわだらけの裸体を晒(さら)す姿は、まるで画家フランシスコ・デ・ゴヤによる作品『我が子を食らうサトゥルヌス』のようであった。低予算で奇跡を起こす美術監督でもあるエガース。素晴らしい技術をまだ隠し持っているかもしれないが、作品を通して存分に才能を知らしめている。 本作ではスタンリー・キューブリックが持つ厳格さと、ニコラス・ローグ(映画『地球に落ちて来た男』など)が持つ性心理的な信念による不道徳な融合のようなものが描かれていく。ラルフ・アイネソン(Ralph Ineson)とケイト・ディッキー(Kate Dickie)は、疑心暗鬼になって子どもへの愛が薄らいでいく、欠陥を持った(役立たずですらある)両親として苦悩する。長男役のハービー・スクリムショウ(Harvey Scrimshaw)は取り憑かれた演技を披露し、思春期の姉を演じるアニヤ・テイラー=ジョイ(Anya Taylor-Joy)は天啓にうたれながら、悪魔が彼女の身体の中心からねじり出てくるかのように皮膚を泡立たせ、血まみれになっていた。 エガースは厳格かつ緊密に物事を描きながら、様々な光景や言葉から新しいテーマを提示し、怪物と心を通い合わせるような宗教的な熱情を円滑に描き出していた。曖昧な表現をしながらも、視聴者から敬遠されるのを抜かりなく避けている。登場人物への審判は、天から下ることはない。その代わりに、罪を負わずに生きたいという衝動がいかに潤滑油になりうるかということを熟考している。近年センセーションを起した映画『キル・リスト』や『ババドック~暗闇の魔物~』に並ぶホラー映画史における重要作だと言えるだろう。 原文:DAVID EHRLICH 翻訳:小山瑠美 2017年7月22日(土)新宿武蔵野館ほか全国順次公開 公式サイトはこちら 配給:インターフィルム ©2015 Witch Movie,LLC.All Right Reserved.

  • 5 5 つ星中
  • 映画
  • ドラマ

本作は、バリー・ジェンキンス監督が少年の成長を絶妙に描いたドラマであり、数多くの奇跡が詰まった切ない物語だ。主人公の内気なシャロン(アレックス・ヒバート)は、いじめっ子たちに追いかけられ、怯えた目で暮らす10歳の少年。彼の短い少年時代は、混乱と苦悩に満ちていた。心を許せる2人の大人(1人は麻薬ディーラーで、麻薬中毒者であるシャロンの母親に麻薬を売っていた)は、彼の両親ではなかったが、少年が「僕はオカマなの」と問いかければ伝えるべき言葉を知っていた。2008年に長編デビュー作『Medicine for Melancholy』を発表したジェンキンス監督は、スクリーン上でめったに掘り下げられることのないアフリカ系アメリカ人を取り巻く世界の問題を描き出し、詩的な言葉を用いながら、社会文化的な領域まで踏み込んでいる。本作ではマイアミの犯罪が多発する地域が描かれるが、そこは注射針が散乱する薬物の取引場所であり、安っぽいダイナーが立ち並び、夜には熱風が海岸を覆う、私たちがいつも映画で目にするようなイメージとはかけ離れた場所を映し出す。そして、内面で起こるステレオタイプに当てはまらない性的な混乱を明確に表現することで、より革命的な作品に仕上がっている。映画『ブロークバック・マウンテン』や、同性愛を描いたそのほかの作品を受け継ぐわけではなく、フランク・オーシャン(初恋相手が男性だったと告白した若手のR&Bシンガー)が刻むビートの張り詰めた不安が湧き上がるような、新しい作品がうまれたのだ。 シャロンは相変わらずいじめられて窮地に立たされる10代の少年(アシュトン・サンダース)へと成長するが、3つの時代に分けて描かれるシャロンはいずれも繊細で陰がある。これらの時代は、劇作家タレル・マクレイニーが書いた自伝的な戯曲『月の光の下で、美しいブルーに輝く(In Moonlight Black Boys Look Blue)』が原案となっており、それぞれの時代による制限を取り外し、劇的な場面によってフランソワ・トリュフォーに通じる感動を描いている。また、サメのように旋回するいじめっ子に合わせてカメラが回転するシーンでは、終わりのないサイクルを示唆する悪循環を恐ろしいまでに表現していた。最後の時代では、シャロンはかつての男友達(アンドレ・ホーランド)と再会を果たし、ジュークボックスからはロマンチックな曲が流れだす。この章では、戯曲では描かれないエピソードが展開する。本作では、成長に伴う痛みをこらえ、それが硬化した傷跡と個人的な抱擁へと変わる物語が描かれていた。この映画こそが、我々が映画を観る理由なのだ。できれば他者に寄り添いながら、理解し、近づき、心を痛めるために……。公式サイトはこちら原文:JOSHUA ROTHKOPF翻訳:小山瑠美2017年3月31日(金)TOHOシネマズシャンテほかにて全国ロードショー配給:ファントム・フィルム© 2016 A24 Distribution, LLC

グリーンブック
  • 4 5 つ星中
  • 映画
  • お笑い・漫才

本作は、映画『ドライビング・MISS・デイジー※1』とは逆のような設定で、使い古されたステレオタイプの登場人物が人種差別の色濃いアメリカ南部を巡るロードムービーである。意外かもしれないが、彼らは実在の人物であり、1962年に起こった実話が元になっている。ヴィゴ・モーテンセンが演じるトニー・リップ・バレロンガは、ガサツな人種差別主義者で、ニューヨークのナイトクラブの用心棒として働いていた。仕事を探していたところ、几帳面な黒人ジャズピアニストのドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)に誘われ、あるライブへ足を運ぶことになる。ドンは差別の色濃い南部での演奏ツアーに同行する屈強なドライバーを求めていたのだ。トニーは情に流されたわけではなく、仕事に見合った金額を稼ぐために、プライドを捨てるのをいとわなかった。 ※1『ドライビング・MISS・デイジー』1989年製作のアメリカ映画。ブルース・ベレスフォード監督による、アメリカ南部を舞台にしたハートウォーミングストーリー。 天才ピアニストと白人ドライバーという2人の俳優の役柄は、意外なニュアンスを感じられ、対称的なキャラクター。彼らは広々としたキャデラックの車内を、リラックスした冗談を言い合うステージへと拡大させたのだ。本作の監督を務めるピーター・ファレリーは、弟ボビーと共に『メリーに首ったけ』と『ジム・キャリーはMr.ダマー』を手掛けた人物。本作の馬鹿馬鹿しさや愛情あふれるシーンは、ファレリーならではの作風だろう。 映画のタイトルとなった『グリーンブック』は、アフリカ系アメリカ人の運転手が、危険な地域(リンチ殺人などが起こる)でトラブルを避けるために携行するガイドブックのこと。同書をタイトルに冠した本作は、ファレリーがこれまでに手掛けたコメディ映画よりもはるかに風格のある作品だ。映画『ミシシッピー・バーニング』と同様の真剣さをもって、ダークサイドが描かれる場面では、主役の2人を抱きしめたくなるだろう。ライブツアーの最中、偏見に直面していく彼らの変化が静かに描かれているシーンは、洗練すら感じられる。もしかすると見逃されてしまうぐらいかもしれないが。人間はより良い方向へ変われることを信じられる作品だ。 2019年3月1日(金)より全国公開 公式サイトはこちら

BPM ビート・パー・ミニット
  • 4 5 つ星中
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死ではなく生としてのセックスと向き合う本作は、1990年代初頭のパリを舞台に、エイズ活動家団体「アクトアップ(ACT UP)」の議論や抗議運動が描かれる。毎週行われる定例ミーティングや、『ゲイ・プライド・アワード』をはじめ、製薬会社のオフィスや学校の校庭、あるいは政治家のスピーチの最中に行われる過激な行動を通して、彼らの活動を追っていく。本作は大衆のドラマであり、集団の団結についてたくみに描写している。物語は、仲間のナタン(アルノー・ヴァロワ)と恋に落ちる、グループの中心的な存在であるショーン(ナウエル・ペレーズ・ビスカヤート)に焦点が当てられる。その後ショーンは、自身の診断結果と死にゆく運命を受け入れることになるのだ。脚本と監督を務めるのは、2008年のパルムドール受賞作『パリ20区、僕たちのクラス』で共同脚本を務めたロバン・カンピヨ。同作の教室でいきいきとした議論が行われるシーンを覚えているならば、砕けた雰囲気で活発な議論が交わされる集会の様子には馴染みがあるだろう。『BPM ビート・パー・ミニット』は、議論と集団行動を映し出し、社会運動での画期的な出来事を称賛し、活動を思い出すためのアンサンブルのような作品になっている。決して退屈ではなく、 活力に満ちた集団の物語で、彼らのユーモアが避けられない死の行進を明るくしている。音楽を手がけたのは、エレクトロ ロック ユニット、ブラック・ストロボのメンバーアルノー・レボティーニだ。登場人物からインスピレーションを受けて制作された楽曲から、猛烈なまでに前へと進もうとする勢いが感じられる。その前進は、哀悼と喪失の重みによって足かせを掛けられ、減速することもある。上昇の後に下降があり、肩を落とすことは、適切で真実らしく感じた。個人的な場面が秀逸に描かれており、ショーンとナタンのセックスシーンは美しく描かれている。終盤には繊細で感動的な物語が描かれており、政治闘争とは結局、愛と生死に関わるものだということを思い出させてくれた。 原文:: DAVE CALHOUN 翻訳:小山瑠美2018年3月24日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町などにて全国公開 公式サイト

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
  • 5 5 つ星中
  • 映画
  • ドラマ

「ハリウッドで成功したほとんどの人々が人間としては落伍者である」と言ったのはマーロン・ブランドだった。セレブ俳優たちは、名声が消えてしまったらどうなるのだろう。本作は、かつてメガヒットを飛ばした俳優がスターバックスに行き、自分でコーヒーを買うほど謙虚になったようなこと描いた訳ではない。『バードマン』は、ニューヨークを舞台に繰り広げられる、滑稽で、不思議なほど愛らしく、それでいて悲しい物語で、マイケル・キートンに向けた重要な問いなのである。脚本と監督を務めたのは、映画『バベル』、『21グラム』を監督したアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥだ。 キートンは90年代初期のアベンジャーズよりもさらに前の時代遅れのスーパーヒーロー映画『バードマン』で大ヒットし、荒稼ぎしたリーガン・トムソンを演じる。(これはキートンのバットマン時代と重なっている)リーガンは、人生の第2幕をシリアスなアーティストとして生きようと、レイモンド・カーヴァーの短編小説をブロードウェイで上演するために奮闘しているのだが、リーガンの心の中にいるバードマンは彼の計画をゴミ扱いし、リアリティ番組を制作するほうがマシだと言う。
シリアスなストーリーに聞こえるが、コメディー映画なのだ。 劇中では、イニャリトゥによって切り取られるカメラワークの小回りがよく利き、舞台制作の映画としてもシンプルに面白い。エドワード・ノートンがエマ・ストーンに、もし彼女の身体の一部を自分のものにすることができるなら、彼女の目を選ぶと言う。そして、20歳の目で再びニューヨークの景色を見てみたいと。このシーンはずば抜けて感動を誘う瞬間であった。そして、夢のようなキャスティングのなかで、キートンは最高の演技を披露していた。彼は恐れ知らずで、不安な表情を作るために平気で顔を痙攣させることができるのだ。この映画のサブタイトルは「無知がもたらす予期せぬ奇跡」だが、善き父になろうとするときですらリーガンは自分のエゴを超越することができないでいるという、残忍な真実がこの映画にはあった。
 監督イニャリトゥの作品にはいつもダークな側面がつきまとう。(『アモーレス・ペロス』、『バベル』を観てほしい)今回もそのダークな部分はあり、人生は失望の連続なのだということを教えてくれる。この映画はいつまでも印象に残り、どこまでも脱線していき、どこか親密で、不規則に広がる。即興的なジャズのスコアがそれを聞いている人をリズムのなかにどんどん巻込んでいくように続いていくのだ。この映画が終わると同時に、あなたはもう一度観たくなってしまうだろう。 公式サイトはこちら テキスト:CATH CLARKE 翻訳:平塚真里 © 2014 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.